「あ…と、ごめんね。君、誰?」
「え…?」

蓮の目が、いつも温かい目が、知らない人を見るような目で私を見ている
何も答えない私に痺れを切らしたのか、蓮は私の横にいた社さんに目を向けた

「社さん、彼女は誰ですか?」
「なっ!?お前、本気で言っているのか?」
「本気も何も、一体…」
「キョーコちゃんはずっと、3日間一睡もせずにお前に付いていたんだぞ?それをっ!」
「3日間…?ずっと…?」

一瞬だったけど蓮の目に浮かんだ感情に私の身は竦んだ
あの目は知っている、痛いほど…あれは私を鬱陶しがっている目だ
幼い頃母に向けられた眼差しと同じ眼差しに耐えられず、私は俯いた

「え…と、マネージャーも来てくれたから…その…」
「判っています。私はお邪魔ですからお暇致します」
「そう。心配ありがとう」

明らかにホッとした様な蓮の言葉に、溢れてくる涙を耐えながら「いえ」と答えた

「キョーコ?」
「モー子さん、ごめんね。先に…帰る…ね…もう…限界」

モー子さんの顔を見ずにそれだけ伝えると、私は病室を飛び出した
走りながら見える景色が段々ぼやける

傷ついちゃダメ、あの男性は蓮じゃない…
私のことを愛していると言ってくれた唯一の人ではない


Eyes #01


「キョーコッ!今、社さんから連絡があって、敦賀さんが撮影中に事故に遭ったってっ!!」

撮影が終わって帰り支度をしているとき、モー子さんが楽屋に飛び込んできた
その報せに気が遠くなったが、モー子さんはそんな私を叱咤して病院に連れてきてくれた

「社さん…」
「キョーコちゃん。ごめんね、俺が付いていながらこんな事故を」
「いいえ。社さんのせいではないです。蓮は…確か次のドラマの撮影でしたよね」
「ああ。共演の女優と移動中に…その…彼女が舞台裏の角材にぶつかって…それが2人に…」
「その女優さんは?」
「蓮が庇ったから。蓮本人は強く頭を打ったが、彼女には傷1つ無いよ」
「良かった…」

ホッとした私の肩をモー子さんがギュッと抱きしめてくれた
それから3日間、マネージャーの彩子さんは反対したけど、私はずっと敦賀さんの傍にいた

「はい、明日の着替え。もう3日よ…疲れた顔をして。ゆっくり休みなさい」
「はい。ご迷惑お掛けしてすみません」

彩子さんに頭を下げたとき、コンコンと病室の扉がノックされ、返事をすると社長と社さん、そしてモー子さんが顔を出した
蓮のこともなんだけど、私のことも心配してくれる皆に胸が温かくなった

「あんた、ちゃんと寝ている?3日間ここで寝泊りしているんでしょ?」
「ちゃんと仕事には行っているわよ。目が覚めた敦賀さんに怒られるもの。ね、彩子さん?」
「「キョーコ…」」

彩子さんとモー子さんの辛そうな目に私は気づかない振りして明るく応えた


「う………う…ん…」

私たちの声が煩かったのか、ずっと静かだった蓮がうめき声を上げた
私は急いでベッドに駆け寄ると、じっと蓮の顔を観察した
やがて薄っすらと切れ長の目が開き、徐々に漆黒の瞳に焦点が戻った

「………こ…ここ…は?」
「病院よ…仕事中に事故に遭って…良かった…本当に良かった…」

涙の向こうに見える蓮の顔、特に目に違和感を感じて私は首を傾げた
蓮はジッと私の顔を見ると、少し考え、口を開いた

「あ…と、ごめんね。君、誰?」



ふと目を開くと、目の前には涙を溜めた大きな瞳でジッと俺を見る女の子がいた
嬉しそうに輝いていた瞳はやがて曇り、最後には決壊寸前まで涙を溜めて走り去った

印象的な大きな目が長い黒髪で隠れる寸前に見えた彼女の辛そうな顔に、何故か胸が痛んだ

「いまの子は…?」

彼女が走り去ったドアから目を放し、俺は疑問を口にした
皆が責めるような視線で俺を見ている…何故?

「お前…キョーコちゃん、絶対に今頃泣いているぞ!?」
「社さん?」

珍しい…社さんが声を荒げるところを初めて見たような気がする
更に社さんが口を開こうとしたとき、社さんの肩に女性の手が乗せられた

「奏江……」
「…あの子の事、覚えていないんですか?」
「…君は?」
「…私はLMEの俳優部所属の琴南奏江です。さっきの彼女は私の親友です…」
「奏江の事も忘れたのか…蓮、奏江は俺の恋人だ」

成る程…社さんの恋人の親友ってわけか…社さんも恋人には甘いなぁ
ん…?
社さん「も」?

「どうやら…本当にキョーコのことを忘れてしまったんですね」
「さあ…でも君たちを覚えていないんだ」
「そうですか…」

琴南さんは悲しそうな、辛そうな目をして俺を見ていた
いつも強気な彼女のそんな目を見たことがなくて俺は目を瞠った

「それなら、"あの約束"も忘れてしまったんですね」
「…約束?」
「いえ…いいです。それも忘れてください」

突き放すようにそう言い捨てると、琴南さんは出口に向った
「奏江っ!」と社さんは琴南さんを呼びとめると、二人で部屋を出て行った

有能なマネージャーも恋人の前では唯の人か…

ツキン…

何だ?脳が痛い……

"恋人の前ではただの男でありたい"
俺の声…?誰に言っているんだ…?
目の前に浮かぶ、茶色い髪をした女性のぼやけた顔を見たくて、俺は痛む頭に手を当てた

「蓮?」

あ…っと思った瞬間、掴みかけた映像がフッと消えた
彼女は…?

「社長?」
「俺も琴南君の意見に賛成だ。記憶が戻るまで決してあの子に近づくな」

社長まで彼女たちの味方なのか?

「最上君は今まで十分辛い思いをしてきた。それをお前が…」
「え…?俺が何か?」
「いや……これは俺が言うことではないな」

苦虫を噛み潰したような顔で社長は言葉尻を濁した

「…どうやら俺はここ数年の記憶が無い、いや混乱しているだけかもしれないんですね」
「ああ。俺はともかく社くんを覚えていて琴南君たちを忘れているということは入社して2、3年ってとこだろう」
「社長…もし、万が一ですよ、俺が思い出さなかったらどうなるんですか?仕事に影響は?」
「まあ多少混乱はあるかも知れないが、仕事は大丈夫だろう。仕事の件は社君に教えてもらえ」
「はい。では私生活、特に交友関係については…」

社長がジッと俺の目を見た

「お前には悪いが、それだけは自力で思い出して貰うぞ。事務所内も緘口令を敷く」
「何故そこまで?教えてもらえないんですか?」
「言うことは簡単だがな…お前、記憶と知識の違いは判るだろ?人から聞いた話じゃ中身が無いんだよ」

確かにそうだ
人から聞いた"知識"では、そのとき何を感じたか、どんな顔をしていたか、そういう中身がない
中身がある"記憶"を取り戻すことが大事なんだ

「あの子は人の感情に聡い子だ。作り物の記憶では返ってあの子が傷つくだけだ」

"あの子"が誰かは気になったが、社長の酷く悲しげな目を見たら何も言えなくなってしまった
「ゆっくり休め」と言って社長が病室を出て行った後、俺は1人で考え続けていた



蓮が目を覚ましてから3日
あの日、蓮が目を覚ました日以来私は病院に行っていなかった

「京子、いいの?今から30分位なら時間がとれるけど」
「ううん、良いわ。今度のドラマの台本覚えたいし…」

それは嘘
またあんな目で蓮に見られることが耐えられなかった
彩子さんは黙り込んだ私に気遣いの目を向けると、不意に鳴り出した携帯を取り出した

「はい。菅野です…え?何ですってっ!?…そんな、何処からその話が…ええ…了解しました」

「綾子さん」と眉間に皺を寄せて電話を切った彩子さんに私は恐る恐る話しかけた

「京子…バレたわ」
「え?」
「敦賀君の…敦賀君が記憶障害である記事が出たそうよ」
「そんなっ!!一体何処から?そんな個人情報がリークされるなんて…」
「…京子、申し訳ないけど1人で次の現場行ってくれる?私は事務所で緊急会議だから」

私が頷くと、彩子さんはタクシーを止めて降りて行った
漏れる筈のなかった蓮の病状…嫌な予感がする…

悪い予感というのは当たり易いのか、私は翌日発売された雑誌の一面を見て「当たった」と呟いた

『敦賀蓮(24)&深見恭子(22)熱愛発覚 記憶障害の恋人を支える献身的な姿』

『深見恭子(22)独占取材 2年程前から良いお付き合いをさせていただいています』

写真には病室で寄り添う2人の姿があった
深見恭子は先日撮影していたドラマで蓮の相手役を務めるアカトキの女優だ
アカトキ社長の姪であり、今回の相手役もコネで取ったのだと聞いた
私とほぼ同じ位の背だが、いかにも大人の女性といった感じの女優
昔の私と似ている淡い髪色のショートカットだが、彼女の方が格段に気品が漂っている

震える手で楽屋のテレビを付けると、テレビでは緊急記者会見が開かれていた

『深見さん、今回の報道についてですが、まず事実でしょうか?』
『はい、事実です。蓮さんとも話をしまして、結婚前提でお付き合いしているので公表しても良いと』

深見さんが頬を染めてコメントする

『えー、今回の会見はアカトキ側のみ出席していますが、LME側のコメントはいただけないでしょうか』

『蓮さん自身の記憶の混乱が有りますのでLME側は事実を確認できないとのコトでしたが』

記者陣が矢継ぎ早に深見さんに質問を飛ばす
余りの勢いに深見さんを初めとしてアカトキの社長も気圧されていた
『えっと…』とコメントにならない言葉を発していたが、一瞬後会場は水を打ったように静かになった
カメラが慌てて会見台から会場入口に画面を変える

「蓮…」

画面の中の蓮は止める病院スタッフを押しのけて会見台に向うと、深見さんの肩をグイッと抱いた
私以外の女性を腕に抱く蓮を見て、演技ではない蓮を見て、私の胸はズキンッと痛んだ
ボンヤリと見える画面の中で蓮が口を開いた

『先ほど彼女が言っていたことは本当です。俺たちは結婚を前提にお付き合いさせて頂いています』

何を言っているんだろう…

耳に聴こえたけど脳が理解を拒否する

ふっと遠退いた意識の片隅で、楽屋に飛び込んできた彩子さんがあげた悲鳴が聴こえた気がした


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