「おはようございます」

私は明るいスタジオに一歩脚を踏み出すといつも通り元気良く挨拶をした
一斉にスタッフの目がこちらに向き、私と蓮のコトを知っていた数人が辛そうな顔をする

"たとえ親が死んでも 俺たちは演技をしなくてはならない"

蓮が教えてくれた言葉
だから私はどんなに悲しくても笑う

「京子さん」
「緒方監督、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「あの…」

緒方監督が次に言う言葉が判って、私はわざと次の演技について質問して話を変えた
そんな白々しい態度で察してくれたのか、監督は頭を振って演技の説明をしてくれた

役者の世界だけは何も変わらない
台本を見て、役を作って、舞台では役になりきる
失恋しても、この役者の世界は変わらない

あの記者会見から3ヶ月、私は仕事に没頭した
時折下世話な記者が、昔の私と蓮の関係を匂わせながら私にコメントを求めてくる
それは社さんと彩子さんの最強マネージャーsが撃退してくれる

「で、今日の撮影は午後までなんだけど…京子さんはお弁当だよね?」
「はい。ちゃんと持参しました」

そう言ってデンッと弁当箱を机の上に置く
「良かった。また後で」と言って監督がスタッフの方に去った後、私は机の上の弁当箱を見た

お弁当か…

先日蓮の元担当医から連絡があった
蓮の担当医は目が覚めて直ぐに何故か変わったが、元担当の老先生は未だに私と連絡をしあう
気さくな先生なので、蓮が目覚めるまでの3日間は当直室で台所を借りて一緒にご飯を食べていた

「…こんにちは、キョーコちゃん。元気かい?」
「元気とは言い難いですが、頑張ってます。先生もお元気そうで何よりです」
「いやいや、私が病院の指示に従っていなければ、キョーコちゃんと彼を…」

申し訳ないと言った先生に私は「気にしないで下さい」と言った
別れ際、私は先生にお弁当を渡した
先生の分のお弁当と…偏食がたたって病院食を残している問題児の蓮の分、2つを
「私からって言っちゃダメですよ。病室に置いて来て下さい」だけ言うと、先生は辛そうな目をした

相変わらず深見さんは献身的に蓮を支えいているらしい

ズキンッ

未だホットな話題として流れてくる2人の情報を思い出して私の胸が痛む

「京子さん、スタンバイお願いします」というスタッフの声にハッと現実に戻ると女優の仮面を被る

この世界が私の生きる場所

「京子さん、よろしくお願いします」

私の妹役の子がペコンと頭を下げる

「よろしくお願いします。それにしてもずいぶん可愛い格好ね」
「はいっ!これクリスマス仕様なんです。映画の公開時期に合わせて」

『クリスマス』という単語に私の胸が大きく痛む

"キョーコちゃん、約束…"

優しい目で私を見ながら言ってくれた蓮の言葉を思い出して涙を堪えなくてはいけなかった


Eyes #02


「京子、この後は事務所に帰って終了よ。社長との面談…多分例のコトね」

優しい顔して演技には厳しい緒方監督との仕事にグッタリした私はタクシーのシートに沈み込んだ

「クスクス…お疲れの様ね」
「だって…相変わらず厳しいんだもん。でも今日はあの人が来ているから」
「そうね。久しぶりに会うんじゃない?奥様も来ているのかしら?」
「さあ…でも一緒なんじゃないかな?あのお二人はとても仲がいいし」

そうこう言っているうちにタクシーは事務所の地下駐車場に付いた

「あら、先約…京子、ここで降りても良いわよね」
「もちろん。運転手さん、ありがとうございました」

彩子さんが料金の支払いをしている間に私は外に出ると、「んーっ」と伸びをした
そして駐車場内でひときわ明るい出入り口を見た瞬間、私の心臓が大きな音を立てた

「…敦賀さん…………」
「京子?………あ、やだ…」

動かなくなった私の後ろからヒョッコリ顔を出して同じ方角を見た彩子さんが言葉を濁した
蓮は前のタクシーから優雅に降りると、反対側に回って扉を開けた
そしてスッと差し出された手を取ると、女性が降りるのを手助けした

深見さん…

敦賀さんは深見さんの腰をすっと支えると、事務所の入口に身体を向けた
2人が光の中に消える寸前、深見さんと目が遭った
私を見て口元に笑みを浮かべた深見さんを見ることが耐えられなくて、私は目を逸らした

「恭子…?」

蓮が深見さんに笑いかける…私に向けたのと同じ笑顔で
"恭子"って呼んでいるんだ…
その声に満足したように深見さんは視線を蓮に戻すと、蓮のエスコートに従って入口を潜った

「京子…大丈夫?」

彩子さんが気遣う声に私はハッと現実に戻った
そしてにっこりと笑いかける

「大丈夫よ、もう過去のことだもの。さあ、行きましょう」



正直言って、どういった経路で辿り着いたか分からないが、私は社長室の前に立っていた
コンコン とノックして「京子です」というと、社長の「どうぞ」という言葉が聞こえた
社長室に入ると、応接用のソファのところで2人の男性が私の方を見ていた

〔ルイス監督。お久しぶりです〕
〔やあ、キョーコ……元気そうで良かった。おや、美人度が増したかな?〕
〔うふふ、相変わらずお上手ですね。奥様は?一緒じゃないんですか?〕
〔クラリスは…その…怒り狂って手を付けられないから米国に置いてきた〕
〔え…怒り?〕

戸惑う私の頭を監督はポンポンと叩くと、私の身体をギュッと抱きしめた

〔…キョーコ、彼のことを聞いたよ〕
〔あ…〕
〔辛かったね、キョーコ。良く頑張った。仕事も頑張っていると聞いたよ〕
〔…私はこの仕事が好き、生き甲斐ですから〕
〔キョーコ…もう大丈夫だよ。宝田さんに聞いたよ、君が泣かないって〕
〔……〕
〔泣きなさい。泣かないと心が壊れてしまう…〕

監督の温かい言葉と体温が私の身体を包む
私は監督の背中に腕を回すと、ギュッとしがみ付いた

〔泣けないんです…〕
〔え…?キョーコ?〕
〔蓮が居ない…"俺の傍では泣いて良い"って言ってくれた蓮が居ないんですっ!〕
〔あ…〕
〔蓮は私を忘れちゃった!今は他の女性が傍に居るっ!だから、もうっ!!〕

そう叫んで私は監督にしがみ付く手に力を込めた


どのくらい時間が経ったのか、監督は私の震えが治まるまで「よしよし」と背中を撫ぜてくれた
〔落ち着いたかい?〕という監督の言葉に私は真っ赤になって俯いた

〔来て良かった…クラリスに言われてね。君の一大事だからとっとと仕事を終えて日本に行けと〕
〔奥様が…?心配をお掛けして申し訳ないです〕
〔君のせいじゃないさ……でも、こんなことになってしまって…残念だったね〕
〔…〕
〔こんな使い古した言葉しか掛けてやれなくてすまない…〕

監督の腕の力が強まったのを感じた私は、監督の胸の中で首を横に振った

〔京子君、どうする?監督は君さえよければ直ぐに"あの件"を実行してもいいと言っている〕
〔え…?でも、社長。今の仕事を放り出す訳には行きません。でも…〕

私は監督の顔を見上げた

〔監督、あの約束はまだ生きていますか?〕
〔もちろんだよ。君が承諾してくれればクラリスも喜ぶだろう〕

頭の中に〔是非〕と言ってくれたクラリス夫人の顔が浮かぶ

〔なら…私を監督たちの家族にして下さい。お願いします〕

そう言って私は頭を下げた
監督が私の頭に手をポンッと置くと、私の目をジッと見た

〔本当にいいのかい?今までの生活が大きく変わるよ〕
〔構いません〕

〔これは君の人生を決める大事なことだ。誰かに相談したかい〕
〔だるまやの夫妻と琴南さんに。皆、頑張れと言ってくれました〕
〔そうか…その…彼には…〕

監督が指す"彼"なんて1人しかいない

〔いまの蓮…いえ、敦賀さんに相談の必要はありません〕
〔判った。辛いことを言わせてすまなかった。早速弁護士に連絡して手続きに入ろう〕
〔はい、よろしくお願いします、"お父様"〕



「丁度良かった。京子ちゃん、君に電話だよ。助かった〜、俺、英語はサッパリ」

英語…?と首を傾げながら受話器を耳に当て〔もしもし〕と言った

〔はあい、キョーコ。元気してる?〕
〔スージー?やだ、懐かしい。監督の映画で一緒した以来じゃない?〕

相手はスザンヌ=レヴィー
米国で新進気鋭の実力派女優であり、ルイス監督の映画で共演した

〔今、私も監督の新作出ているのよ。で、聞いたわよ。養子の件、承諾したんですって?〕
〔早耳ねぇ。でも"イエス"よ。クリスマスが終わったらそっちに行くわ〕
〔ふうん…ねえ、キョーコ。ツルガサンの件は本当に良いの?〕

スザンヌの真剣な声に私はドキリとした
蓮とスザンヌは日本のCMで共演しており、その後も私の相談に色々のって貰った

〔うん…もういいの。最近では結婚までカウントダウンみたいだし〕
〔でも本当なら彼とは…〕
〔そうなんだけどね…でももう遅いわ。スージーは私が米国に行くの嬉しくない?〕
〔嬉しいに決まっているじゃない…でもね〕
〔全てをもう忘れたいの…1からまたやり直したい〕

スザンヌの様子に、つい私の本音が出た
約束も結局本人たちが覚えていなかったら何の意味も無いのだ

〔米国に居るときから是非といわれていたから、それに実の母とは疎遠だから嬉しいの〕
〔まあクラリス夫人は若いときに子宮を摘出してしまったから…だからとても嬉しそうよ〕
〔お二人とも、とても優しくしてくださるわ。きっと私、幸せになれる〕
〔そう…幸せならいいわ。キョーコにはもっと幸せな人生がプレゼントされるべきよ〕
〔え…?〕
〔撮影していて気づいたのよね。あんたのその目、19歳の子がする目じゃないわ〕

〔まあ過去は聞かないわ。人それぞれだし〕といって、スザンヌは仕事に戻るために電話を切った
ツーッと機械音を残す携帯を操作しながら、私ははあっと溜息をついた

「まだまだ修行が足りないわ。"辛い"なんて悟られない様にしなくちゃ」



ルイス監督と会って1ヶ月ほど経った後、私は再び社長室に呼ばれた

「これが養子縁組承諾書だ。君のお母上のサインもある」

感情を滲ませない綺麗な字で書かれた母のサインをなぞると、幼い時のやるせない想いが蘇る
ふるふると頭を振って負の空気を払うと、指示された場所にサインした

「これで君はルイス夫妻の娘だな」

慣れない名前に違和感を感じながらも、監督とクラリス夫人の顔を思い出してぽっと心が温かくなった

「京子君。これから仕事の話だ。今の仕事は期間中に終わるから良いとして、やりたい仕事は無いか?」
「やりたい仕事?」
「ああ、ドラマでも映画でも、歌でも踊りでも何でも良いぞ。それが俺からの渡米祝いだ」
「じゃあ2つだけお願いがあるんです」

最後に一度だけ、素直に我侭を言っても良いですか?

「1つは私の誕生日の前日、12月25日を蓮、いえ、敦賀さんと過ごさせてください。出来たら彼の部屋で」
「判った。参考までに教えて欲しい…何をするのかね」
「ラブミー部の最上キョーコとしての最後の仕事をしたいんです」

目を瞠った社長に私はにっこり笑うと、2つ目の我侭を言った

「2つ目は最後にもう一度だけ、どんな役でも良いんです。敦賀さんと共演させてください」
「…それが女優・京子としてのお願いか………判った、君の希望は必ず応えよう」
「ありがとうございます」
「だから、その2つが終わったら笑ってくれ…本当に心から笑ってくれるよう、私とマリアからお願いする」
「え…?」

戸惑う私に社長が苦笑して告げた

「マリアが言っていたぞ。"お姉様はいつも笑顔だけど、目が笑っていないって"」
「あ…」
「だから最上キョーコさんにお願いする。全てが終わったら…もう一度笑ってくれ」

そう言ってウインクを送った社長に、私は「はいっ」と泣き笑いで答えた



俺と恭子は緊急会見からずいぶん時間が経ってから社長に呼び出された

恭子は俺が入院してから毎日病室に来てくれた
俺と恭子はドラマの共演がキッカケで付き合いだしたらしい
突然の情報に戸惑う俺に、彼女のマネージャーと新しい担当医が色々教えてくれた

俺の担当は初めはお年寄りの先生だったが、目を覚まして直ぐに変更になった
それまで社さんや社長が何度かお見舞いに来てくれたが、精密検査の連続であまり会えなくなった
そんな俺のそばにいたのはいつも恭子だった

入院して暫くした頃、俺の元担当の先生が早朝にフラッと顔を出した
そして「病院食だと飽きるだろう」と言って、預かったという弁当を渡した
「誰ですか?」と聞いたら「君のよく知っている人さ」と言って元担当医は去って行った

渡された弁当の蓋を開けると、京風懐石のような見事な料理が並んでいた

誰だろう…弁当にしては随分立派な…

食欲をくすぐる匂いにつられ、俺は箸をつけると食べ始めた

「うまい…」

誰に言うのではなく、自然と感想が口から漏れた
どこか懐かしさを感じさせる上品な味付けに、俺の箸はスピードを上げた

"敦賀さんに少しでも元気を…"

お弁当も残り1口と少々残念に思っているとき、頭の中にイメージが浮かんだ
どこか懐かしい声と目の前で俯く茶色い髪の頭が見える

「これは…」

何かを掴みかけたと思った瞬間、「蓮さん?」と面会に来た恭子に話しかけられた

「あれ…?ああ、また来てくれたんだ」
「え…ええ。お花を差し入れで持ってきました。あとお菓子と…」

彼女の目が俺の手に持っている弁当に移る

「あ、これは…」と言って俺が話そうとしたとき、恭子がハッとしてにっこりと笑いかけた

「良かった、食べてくださったんですね。昨日先生にお預けしたんですけど」
「え…君だったのか…?」
「ええ。病院食だけだと飽きるかな…と思いまして」

やっぱり俺が忘れている人は彼女だったのか
そう思った瞬間、思い出せずにぽっかり空いていた穴が幾分埋まった

「蓮さん、その…今回の件がどこからか漏れまして…」

呆然としている俺に恭子は数冊の雑誌を見せた
どの雑誌も「熱愛」「熱愛」と書いてある

"敦賀さんのスキャンダルの元になるなんて絶対に嫌です〜〜"

記憶の中の彼女が叫んでいる声が聴こえて、俺は恭子が目の前で俯く理由が判った

「こんなスキャンダルで君の才能を潰すわけにはいかない。記者会見を開こう」

そこから先のアカトキの行動は早かった
LMEの社長には既に確認と許可を取ったとの事だったので、俺たちは病院の一角で記者会見を行った



敦賀さんっ!!

恭子と共に社長室に向っているとき、俺を呼び止める声が聴こえた
まるで信じられないと目を瞠っているようだったが、やがてツカツカと歩み寄ってきた
そして俺の前に来て俺の顔を見上げると、思いっ切り手を振りかぶった

パアンッ!

景気の良い平手の音が響いた瞬間、賑やかだったロビーはシンッと静まり返った
俺は痛む頬を何もなかったように撫ぜると、彼女を睨んだ

「随分なご挨拶だね。それが目上の人間に対する態度かい?」
「あなたがそれに見合う行動をしていればこんなことしません」
「ほお…で、何をそんなに怒っているんだ?」

平然という俺に琴南さんは拳を震わせながら言葉を搾り出した

「…深見恭子さんと結婚前提のお付き合いというのは本当ですか?」
「君に答える義務は無い、と言ってやりたいが…そうだ」
「…そんなに直ぐに結婚なんて考えられるんですね」
「何を言っているんだか分からないが、俺と恭子は2年の付き合いだぞ」

「え…?」と琴南さんは大きく目を見開いた

「…何か思い出したんですか?」
「思い出した…と言えばそうなんだが、彼女の作ってくれた弁当で思い出した」
「弁当…?まさか………お重に入った京風弁当?」
「あ?ああ…なんで知って…?京風の味付けは恭子の得意分野らしいんだ、ね?」
「え…ええ」

俺の隣に立っていた恭子が慌てて頷いた
そんな恭子を琴南さんはキッと睨みつけた

「へえ…深見さんの特技が料理とは知りませんでした。是非私も教えていただきたいわ」
「ま…まあ、今はあんまり時間が無くて。仕事の合間に簡単なものを」
「ふうん。それでお弁当…さぞ美味しかったんでしょうねぇ。作るの大変だったでしょう」
「え?ええ、まあ…でも蓮さんの為ですもの…」

そう言って頬を染めた恭子を見た瞬間、琴南さんが恭子の頬も叩いた
再び響いた平手の音に、ギャラリーが集まり始めた
わなわなと震える手で頬を押えた恭子は、「蓮さんっ」といって俺の胸に縋りついた
俺はそんな恭子を抱きしめ、琴南さんを睨み付けた

「何をするんだ、君は?」
「…」
「理由もいわず、更に謝りもしないのか?そういう態度なら…」
「蓮、やめろ!!」

社さんの声が響くと、ギャラリーを割るようにしてこの場に乱入してきた

「倖一さんっ!」
「やめろ、奏江。無駄だ!!」
「だって、あの子の気持ちを…!!」
「後で話を聞くから!蓮にこれ以上言うな。余計あの子を傷つけるぞ!!」

社さんがそう怒鳴ると、琴南さんはビクッとして俯いた
そして踵を返すと、ラブミー部の部室に走っていった

ラブミー部?
それって何だ?
そんなもの知らない筈なのに、何で俺は"部室"というものと場所を知っているんだ?

ツキン…ツキン…

いや、俺はその部屋を知っている
よく行った?
何で?
何のために…?

グイッと腕を引っ張られたことで、俺は掴みかけた何かを失った

「恭子?」
「どうかしましたか?…とにかく時間ですから行きましょう」
「そうだな」

俺は頭に漂うモヤモヤを追い払うと、恭子を連れて社長室に向った


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