「蓮、アカトキの深見君、よく来たな。そこに座ってくれ」
「「はい」」

珍しく普通のスーツを身にまとっている社長に違和感を感じながら俺は腰を下した
普段が奇抜な格好なだけに、普通のスーツを着た社長は妙な貫禄があった

「連絡が遅くなってすまない。色々と仕事が立て込んでね」
「いえ」
「こちらも海外移転する芸能人が数名いてね、彼らの対応に追われてしまったんだよ」
「はあ」
「まあ、忙しいのは言い訳にならないが、せめて一言は相談が欲しかったな」
「相談?何の事です?」
「病院での記者会見だよ。お陰であの後問合わせでLME事務所内はてんやわんやだ」

え…?

「LME事務所には既に了承済みと言われましたが…恭子?」

俺の横で身体を固くしていた恭子が、突然の呼びかけにビクッと身体を揺らした
不自然に俺を視線を合わせないように泳がせる目線に俺はアカトキの独断だと気づいた

「すみませんでした。本来なら俺が確認…」

俺の言葉を遮るように社長は手を上げると、「過ぎたことはもういい」と言った
そして俺の目をじっと見た

「あの時言った事は本当なんだな?深見君との付き合いは結構前提なんだな?」
「はい。あの発言に嘘偽りはありません」
「ほう…じゃあ、お前の色恋沙汰の噂は事実無根としてLMEが潰そう」
「俺の恋愛沙汰?そんなのがあったんですか?」
「あったのさ…まあ、もう気にしなくていい」
「社長?」
「蓮…会見によるとお前と深見君は2年前から付き合っていたそうじゃないか」
「ええ。恭子がそう教えてくれました。覚えていないのが残念ですが」
「ほお…深見君がねぇ」

そう言うと社長は静かな目で恭子を見た

「で、お前はそれを信じたわけだな」
「…信じない理由なんてないでしょう?」
「ま、そりゃそうだな。じゃあ、本題と行こうか。深見君には無関係な話になるが」
「あ、か…構いません」

恭子の応えに「結構」と応えると、社長は1冊の台本を俺に渡した

「蓮、お前に仕事の依頼だ。新しい映画に出てもらう。拒否権は今回はない」
「社長!?」

強引な人ではあるがいつもは人の意見を聞いてはくれる社長の態度に俺は驚いた
俺の隣では恭子が「3ヶ月…」と呟き、おずおずと社長に言った

「あの…3ヶ月後には私の主演ドラマがあって、その相手役を蓮さんにとうちの社長が…」
「…深見君。俺が今君の意見を聞いたか?アカトキの社長の意見を聞いたか?」
「い…いえ…」
「じゃあ黙っていなさい。これはLMEの問題だ」

いつも女性には紳士的な社長の態度に俺は目に余るものを感じた

「そんな頭ごなしに否定することはないでしょう。台本を読んでからでも…」
「…深見君。そのドラマの台本を持っているか?」
「は…はい」

恭子はバッグを探ると、A4サイズの台本を社長に出した
俺は社長に渡された台本を、社長は恭子に渡された台本を暫し読んだ
台本を交換して読み進めた結果、映画の方が価値があった

「映画に出ます」
「蓮さん?そんなっ!うちの社長が何ていうか」
「深見君…まだ判らないかな?こんな安っぽい三流恋愛ドラマじゃ蓮の持ち味が出せないんだよ」
「3流ドラマって…酷い…」

そう言って恭子は涙ぐみ始めた
そんな恭子に若干軽蔑を含んだ視線を送ると、「悔しかったら本物になるんだな」と言った
その瞬間恭子は身体をビクリと震わせた
そんな恭子を目に入れるのも面倒くさいと言わんばかりに、社長は視線を俺に移した

「去年最優秀を受賞したカンヌの映画を覚えているか?」
「いえ。記憶がおぼろげで…」
「まあ、それはいい。今回のオファーはこの最優秀助演女優賞をとった女優からだ」
「外国人と、ですか?」
「主演女優はスザンヌ=レヴィーで外国人だが、助演女優は日本人だ」

「ほらよ」と社長は一枚のDVDディスクを投げて寄越した
ラベルには何もかかれていなかったが、ケースをひっくり返すと『For Kyoko』と書かれていた


Eyes #03


「『Kyoko』?サンプルディスクがここにあるなんて、LMEの女優ですか」
「ああ。LMEの中でも段違いの実力を持ち、演技派女優の中でもトップクラスの力を持つ女優だ」

Kyoko

恭子と同じ音だから気になるのだろうか…いや、違う
何だ、この違和感は

「お前とも何度か共演したことがある。まあこの2年間だけどな」
「…覚えていないのが惜しいです。是非早く共演してみたい」
「そのDVDはカンヌを獲ったヤツだ。関係者のみに配られている。絶対返せよ」
「はい。でも何故俺にこのDVDを?」
「一緒に仕事する上で彼女を知った方が良いぞ。下手したらお前が食われる」

俺が…?

社長の挑発する目と台詞に俺の心に闘志が燃えた
どんな女優かわからないが、俺はその女優にとても興味をもった



俺は早く家に帰ってDVDを観たかったが、恭子が来たいと言うのでマンションに連れてきた
「お茶入れるわね」という恭子の声に上の空で返事しながら、俺はDVDをセットした
テレビの電源を入れようと腰を上げたとき、恭子が俺の背中にしがみ付いた

「恭子?」
「蓮さん…そのDVDを観るの?」
「ああ…君ともよくこうやって勉強の為にDVDを見たじゃないか」
「そ…そうなんだけど…………そんなことよりも…私と、しない?」
「…恭子?」
「ずっとしてないし…ねえ、私が欲しいでしょ?」

そう言って恭子は俺をソファに押し倒した

彼女ってこんな子だっただろうか?
こんなふうに俺に誘いをかけて来たことなんてあっただろうか

違和感に戸惑いながらも、俺は恭子の思うようにさせた
目だけはボンヤリと明るいテレビ画面を観ていたが

『それでは、また来週』という言葉でニュースが終わり、CMに切り替わった

綺麗な音楽が流れると、画面がパッと青くなった

水の中…?
段々差し込む光の量が増し、水上に向って浮上しているのが判る
水を跳ね上げて水上に出たとき、水滴でキラキラ光る画面の向こうの岩場に人魚が座っていた

画面は人魚をズームアップし、さらりと落ちた黒髪で人魚の顔は見えなかった
彼女はずっと綺麗な瓶を胸に抱きしめている
やがて意を決したように瓶を胸から放すと、頭上の月を見上げた
人魚の顔が月に照らされ、画面いっぱいに映し出される

ドクンッ

人魚の…彼女の月を見つめるその切ない目に俺の心臓が高鳴った
人魚はフッと視線をこちらに向けると、丹朱の唇を開いた

『私を忘れないで』

その言葉が俺の脳にしみこんだ瞬間、俺は恭子を押し退けた


「キャッ!れ…蓮さん?」
「ごめん…今はその気になれないんだ…申し訳ないけど帰ってくれないか?」

俺は乱れた服装を乱すと、彼女にニッコリ笑いかけた
彼女は悔しそうに俯くと、「判ったわ」と小さく呟いて立ち上がると、衣類を整えて帰った
おれは鍵を閉めてチェーンを掛けると、リビングに戻って腰を下ろした

テレビを見ると画面は既に別のCMを流していた
"私を忘れないで"
ただのキャッチコピーなのに耳について離れない


セットしたDVDが起動させて、画面を明るくなった瞬間、そこには女性の目元が映った
その迫力に一瞬息を飲んだが、俺はその大きな双眸に魅入った
やがてその綺麗な瞳に涙が溢れ、やがてそれは一筋の河となって頬を伝った

!!


俺が現実に帰ってきた頃には、テレビ画面は最後のエンディングを映していた
俺は携帯を取ると、社長に電話をした

「俺です」
「何だ?」
「映画に出ます。いえ、出させてください」
「…分かった。予定は社から聞け」
「はい」

俺が返事すると、電話は切れた



「蓮がOKしたぞ」と社長が電話をくれたその日から、私はずっと緊張していた
私の不安を解消するように、事情を知っているルイス監督夫妻から激励のメッセージが届いた

"映画撮影頑張ってね。後悔のない仕事を・…"

そして社長の連絡から3ヶ月
他の仕事は全て終わり、後はこの映画だけになった。
監督は私と敦賀さんの初共演(?)を実現させてくれた新開監督だった
本人は何も知らないかも知れないけど、私は監督に感謝してもしきれなかった。

「早く早く!!あなたの無遅刻無欠席の記録はまだ入社の初めからずっと更新中なのよ!」

そう言いながら前を走る彩子さんの激励の声が飛ぶ

" 敦賀さんの記録は私が守ります "

そんな事を言った代マネの仕事をフッと思い出す。
クスクスと思い出し笑いをしながら、映画の打合せ会場である会議室の前に着いた

「京子です!遅くなって申し訳ありません!!」

そう言って部屋に入ると、大勢の顔がこっちを向いた


「こんにちは。京子君。時間も大丈夫、間に合っているよ。今回もよろしく頼むよ」
「はい!よろしくお願いします、新開監督」

「キョーコ、大丈夫?凄い汗よ?」

監督に挨拶している私の傍に来たモー子さんはハンドタオルで私の汗を拭いてくれた
もーー、優しいんだから〜

「新開監督、ちょっとキョーコをお借りしますね」と言うと、モー子さんは私の手を引っ張った
「はい」と言って飲み物を渡してくれると、にこにこと話し出した

「あんたとの一緒の映画なんて初めね。すごく楽しみだったのよ」
「うん、私もっ!」
「…これが日本での最後の仕事になるのね………正直、寂しくなるわ」
「日本に帰ってきたら必ず連絡する。モー子さんも米国に来たら必ず連絡して」
「もちろんよ…………………でも、あんた、いいの?」

モー子さんの真剣な声に「え…?」とモー子さんの顔を見ると真剣な目をしていた

「あんたの相手役は敦賀さんよ?」

ああ…やっぱりモー子さんに心配をかけちゃったか…
私を気遣う目をしたモー子さんに、私は罪悪感が募った
私は反対されると思って、社長にお願いしたことをモー子さんには言わなかったんだけど…
やっぱりモー子さんには話そう

「大丈夫よ」
「本当に?」
「うん……だって私が、京子が敦賀蓮さんに相手役をお願いしたのだから」
「え…?」

モー子さんが息を飲むのと同時に、主演男優の到着が知らされた
戸惑うモー子さんに「後で説明するね」と言うと、私は敦賀さんの元に向った

大丈夫…大丈夫…私はもう大丈夫…

「お久しぶりです、敦賀さん」

そう言って私は頭を下げると、笑顔の仮面を貼り付けて顔を上げた



声のした方に視線を向けたとき、正直驚いた
なぜならあの日俺の病室から走るように去った女の子が立っていたからだ

「改めまして、初めまして、京子です」
「君が…Kyoko?」
「ああ。深見さんとは字が違いますよ。私は京都の子です」

俺は信じられなかった

DVDの中の京子は誰も信じていないと冷たい目をした少女

あの日俺の病室から去って行った京子は"悲しい目をした少女

そして今目の前にたつ少女は…普通の少女だ

「やあ、キョーコちゃん。最近忙しいようだね」

俺の背中から、社さんが気さくに挨拶をしていた
恭子の事があって以来、ずっとビジネスライクに俺に接していた社さんとは思えない

「あの人魚のCMすっごい綺麗だねぇ…惚れ惚れしちゃったよ」

人魚のCM!?

「あの人魚も…君?」
「はい」

あの人魚の京子は誰かを探しているような切ない目をした少女

目の前で嬉しそうに笑う彼女とは似ても似つかない

笑う…?

俺は彼女の笑顔に何故か違和感を感じた
そんな俺の疑問を振り払うように、彼女は更に笑みを深めた

「敦賀さん、今回は私の我侭を聞いてくださってありがとうございます」

そう言って綺麗にお辞儀をする彼女に何かのシルエットが重なる

俺は知っている…こんな風に綺麗に頭を下げる女性を…

「蓮」と呼ぶ社さんの声に、俺はハッとした
目の前を見ると、彼女が右手を差し出している

「すまない…俺も話題の女優さんと共演できて嬉しいよ。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」

そう言って俺たちは握手しあった


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