映画の撮影現場はとても楽しかった
特にLMEの女優2人がムードメーカーのようで、彼女たちも周りは笑い声が絶えなかった
クランクインから2ヶ月、撮影はかなり順調に進んでいる
自分でもかなり満足のいく演技が出来ており、俺は今から出来上がりを楽しみにしていた

撮影は朝早くから夜遅くまでのハードスケジュールで進んでいたが、俺は満足していた
恭子には申し訳ないが、恭子から離れられて嬉しかった
日々強くなる現実と記憶の彼女のギャップに俺は戸惑っている

あの日…社長に京子さんのDVDを渡されたときは拒んだが、あの後俺と恭子は関係を結んだ
何か昔と違和感があるか…と思ったが、違和感も無ければ懐かしいと思う気もわかなかった

昨夜、やはり夜遅くに俺のマンションに来た恭子は俺を誘った
軽い情事の後、俺は明日の予定を確認しようスケジュール帳を開いた

「あれ…?」
「どうしたの…蓮?」
「いや…………あのさ、12月25日って何か予定を入れていたっけ?」
「25日?クリスマス?」
「ああ。多分これは俺が書いたんじゃないんだけど…恭子だろう?」

そう言って俺が恭子に見せたその欄には、男物の手帳には不似合いなピンクの丸
恭子の目が泳ぐ
まただ…恭子はたまにこういった表情をする…俺はこれが気に食わない

「さあ、忘れちゃったわ。じゃあもし予定が空いたら一緒にクリスマス・ディナーに行きましょうよ」

そう言って腕を俺の身体に巻きつけてきた恭子の目を見て、俺は溜息をつくと再びベッドに戻った


「京子君、琴南君、OK!ナイスな親友ぶりだよ」

新開監督の声に、俺は手帳のことから今の仕事に精神を集中させた

「監督、ナイスは古いですよ…」と、琴南さんが笑顔で辛らつなことを監督に言った
そんな琴南さんを京子さんが嗜める…が…

「でも監督、親友っぷりは演技じゃないですよ。だって私とモー子さんは大親友なんです」

そう言うと京子さんはキラキラした目で監督に『親友自慢』を始めた
マシンガン並に繰り出される言葉の奔流に、監督は息継ぎの瞬間を狙って「判ったよ」と言った
そう言われて京子はキョトンとしたが、やがて「判れば宜しい」という笑顔を浮かべた
そんな京子さんの様子に監督もスタッフも笑い声を上げている


京子という女優は見ていて本当に飽きない
どんな役者ともどんなスタッフとも直ぐに仲良くなり…いつも笑顔だ
でも俺にだけは違うような気がする
何が違うといわれても説明し難いが、他の人に向ける笑顔と俺に向けるのは違う

監督や琴南さんとじゃれあう京子さんを見て、俺は違和感に気づいた

俺に向けているのは社交辞令の笑顔だ
彼女はいつも顔に貼り付けたような能面笑顔で俺に対応する
そう…彼女の眼は決して笑っていない…


Eyes #04


「蓮、次入って!」

新開監督の声に、ハッとして俺はカメラの中央に向かっていく

今回の役は小さな病院の医者、死期が近い女性に恋し、死ぬまで支える役だ
京子さんが演じるのは俺の患者で、20歳になる前に死んでしまう儚い女性だ
子供の頃から病院に入り、親も来ない孤独な環境で今までを生きていた
彼女の心の拠り所は、琴南さんが演じる病院長の孫娘と俺の演じる担当医だけという設定だ

DVDで既に想像はついていたが、彼女はすごい女優だ

とにかく演技の勘が良い。
最初俺が実力試しで仕掛けたアドリブに、呼吸をするように自然に台詞を合わせてきた
LMEの養成所で徹底的に鍛えたらしく、台詞回しも上手い

彼女の集中力にも脱帽だ
いつも元気一杯な京子が、カチンと合図が鳴ると一気に儚い病人、麻理になる
いつも俺をどこか冷めた様に見つめる目が、合図と共に俺を思慕する目に変わる

彼女の目に、麻理の目に、俺は彼女に愛されているのではと錯覚してしまう

俺が彼女の演技にのまれているのか?

俺の役者としての闘争心に火が点く


「シーン21、初め!」

監督の声とカチンという音と共に俺の役者としてのスイッチが入る
俺と彼女の楽しい勝負が始まる



俺は病院の庭を歩く
ここは個人病院の庭で、孫娘と麻理が大事に育てている花たちがある
いまは冬なので花は咲かないが、来年用の植物を一生懸命育てていた

「麻理ちゃん、またここに居たの?」
「先生」

俺の声に白いパジャマを着てピンクのストールを掛けた麻理が振り返る
俺を見る麻理の瞳に俺は背筋がぞくっとした

彼女の目には俺に対する信頼と、信頼を超えた俺を慕う気持ちが現れていた

俺はこの目に懐かしさを感じた
俺はこの目を知っている…?

「先生…?」

いけない!
黙ってしまった俺に、彼女はアドリブでもう一度台詞を繰り返してくれた。

「寒いでしょ?もう病室にもどらなきゃ、ね」

俺の声に彼女は頭を振る

「麻理ちゃん」と呼びかける俺の声に彼女は涙を溜めた目で俺を見上げた

知っている…
俺はこの目を知っている

「先生、私…」 と小さな声で呟く彼女の瞳に涙が更に盛り上がる

彼女に涙を流させてはいけない!!

その瞬間、俺は無意識に、演技ではなくただの男として彼女を抱きしめていた



な…なに?
何で私は蓮の胸に…?

内心メチャクチャ慌てたけど、カメラが回っているので表には出さない
うー…早く離して欲しい…
…涙が出そう…

ふわりと私の鼻腔を優しい香りが掠める

懐かしい香り…
蓮、香水変えていないんだ…

湧き上がりそうになる涙を必死で堪えながら、私はこのまま時が止まればいいと思った

懐かしい香りに封印した昔の記憶が溢れ出す…


「おいで…」

蓮は私が不安になるとよくギュッと抱きしめてくれた
でも決してキス以上のことをしようとはしなかった
『抱きしめられること』すら慣れていない私に気を使ったのだろう

蓮はいつも大人で…
子どもの私をいつも見守ってくれていた

一度だけ「何で抱かないんですか?」と聞いたことがある

あのときの蓮は本当にビックリしていた
あんなにビックリした蓮の顔を見たのは初めてだった

しかし直ぐにフッと顔に笑みを浮かべると、蓮は私の身体に腕を回した
わたしは自分が言ったことを思い出して、熱くなった顔で蓮を見上げた
きっと真っ赤な顔をしていたに違いない
蓮はふーっと長い溜息を吐くと、ギュッと私を抱きしめてポツリと言った

「君は何よりも大事な子だから…中途半端な状態で抱きたくないんだ」
「中途半端…?でも私たちってお付き合いを…」
「でも公表はしていない。どこかこそこそと人目を偲んで逢っているじゃないか」
「はい」
「もし今ここで君を抱いても…俺は君の家まで送っていけない。君だってコソコソ帰ることになる」

「それじゃあ嫌なんだ」と言って蓮は私を抱きしめる腕に力を込めた

蓮は私の成長を妨げないために、2人が付き合っていることは隠してくれた
どうしたって新人の枠を出ない私では、敦賀蓮のネームバリューに潰されてしまう
そんなこと無い様、堂々と蓮の横に立てる実力をつけるまで
それを蓮は待ってくれた


「それに…」
「"それに"…?」
「君の家はまだダルマやさんでしょ?」
「はい」

頷く私に蓮はいたずらっ子の目を向けた

「俺とエッチして、下宿に朝帰りして……キョーコは平然と出来る?」

ボウンッと私の頭の中で何かが破裂した
エ…エッチって…///

「どう?」
!!えっと、その………出来ないですっ////////!!

想像してしまって真っ赤になりワタワタしだした私を、蓮はギュッと抱きしめた

「でしょ? だから、あせらなくても良いんだ」
「良いんですか?」

蓮は優しげな目をしてわたしに「無理しなくて良い」と言ってくれた

「それに……俺は結婚したら君に思う存分手を出す予定なんだから」
////!!

茹でタコのように顔を真っ赤にする私を蓮は笑いながら観ていた

「そうやって真っ赤になる可愛い君を何処にも帰さなくてよくなったら、ね」

「だから覚悟していてね」と私の耳元で囁くと、約束とばかりに私の頬にキスをした


蓮の匂いが昔を思い出させる
あのときに戻りたい

ふと視線を感じて蓮の背中越しにスタッフを見ると深見さんの顔が見えた

その瞬間、私はいま撮影中であることを思い出した

やだ!!

そう思って私は敦賀さんの肩を押した

やっ!!



腕に抱いた彼女が突然動き出し、「やっ!!」と叫んで俺の肩を押した
その衝撃に俺は現実に戻った

「ご、ごめん!!

俺は慌てて彼女から身体を離した
俺はどうして…


「カットカットー、おーい、蓮。どうしたー?」

笑いながら言う監督の声を遠くに聞きながら俺は目の前の彼女に集中した
彼女は自分の身体に両腕を回し、自分を守っているようだった
俺は謝ろうと何度か口を開いたが、何と言って良いのか分からない…
頭が働かないっ!!

と…とにかくっ

「ごめん、京子さん」

俺の声に彼女はビクッと身体を揺らすと、ゆっくりと顔を上げた
「大丈夫ですよ」と言って俺に向けた笑顔は、不自然なくらい綺麗だった
その表情に息を飲んで黙っている俺を無視して立ち上がると、彼女は俺の耳元で囁いた

「後ろに彼女が来ていますよ?」
「え?」
「早く彼女のところに行ってください。不安そうな顔をしています」

それだけ言うと、彼女は監督のところに走っていってしまった


「蓮、京子君に聞いたよ。熱が入りすぎたんだってな」
「…え?…え、ええ…」
「珍しいな…。じゃあ、ちょっと気分転換のために休憩にしようか」


「蓮!」

休憩に入ったので俺は恭子のところに行った

「どうした、仕事中に…?」
「ごめんなさい。その…蓮の仕事振りを見たくて」

そういって上目遣いに見る彼女の顔に、俺はいらつきを覚えた

「こっちへ」と言って恭子を人気の無い裏手まで連れて行った

「どうしたんだ、一体。この映画の撮影が始まってから何度も現場に来て」
「だって、蓮に会いたくて…」
「…それより、自分の仕事はどうしたんだ?」
「あの…皆最近私に優しいの。蓮の撮影を見たいって言ったら…OKだって」

またか…
俺の彼女っていうので皆が甘くなっているのか?
恭子は皆に迷惑を掛けてもなんとも思わないのか!?

"これは仕事ですから!!しっかりやるのが義務なんです!!"

俺の記憶の中の彼女は…この子と恭子は本当に同じ人物なのか?
そう俺が悩んでいると、突然恭子が俺を引っ張ってキスをした

「恭子っ!何を!?

身体を離そうとする俺にすがり付いて恭子は言った

「今からちゃんと仕事に行くからぁ…だから今日も蓮の家に行って良い?」
「は…?」
「また激しく抱いてくれる?この前の蓮…すごかったわぁ」
「……俺、仕事中なんだぞ?」
「いつも蓮は一晩中激しく抱いてくれるじゃない。今日もいいでしょ?」

何なんだ、一体?
俺は突然身体を摺り寄せてきた恭子に戸惑った

「仕事があるんだ…だから」
「あら、今日の撮影って20時まででしょ?NG出さなきゃ良いじゃない」

そう言うと恭子は俺の背中越しに声を投げかけた

「ねえ…?主演女優さん」

なっ!?

恭子の声に、俺はバッと後ろを振り向いた
俺の背後数メートルの所に、京子さんが呆然と立っていた

「な…何でここに…?」

俺の言葉に責められたのだと勘違いしてしまったのだろう
彼女はビクッと身体を竦めると、辛うじて聴こえる位の小さな声で言った

「あ…の……ごめんなさい。その…お弁当が来たから……」
「あ…ありがとう。すぐ行くよ」

何事も無かったかのように、俺は動揺を抑えて声を出した
そんな俺にピクッと反応すると、彼女は気まずそうに強張っていた顔を笑顔に変えた

え…?

「敦賀さん、私でよかったですね。私が記者だったら、キスシーンなんてまずいですよ」

クスクスと彼女が笑い出した
キスって……そこからいたのか?

「それでは、お弁当は恭子さんの分も社さんに渡しておきます。それでは」

言うだけ言うと、呆然と立ち尽くす俺を放って彼女は踵を返した
最後にふっと見えた彼女の目はあのCMの人魚の目の様だった



「よーし、OK!クランクアップだ!!」という監督の声に、俺は京子さんの身体を離した
さっきまで死んだように目を閉じていた彼女の目がパッと開くと、元気に飛び起きた

「そんなに突然起きたら危ないよ」 という俺に「体は鍛えてきますもの!!」と彼女は応える

あんなことがあっても、京子は何事もなかったように演技を続けた


撮影中カメラが回っているとき、俺は彼女を心から愛したし、愛されていた
撮影中の彼女の目は、俺に全身全霊で恋している目だった
俺だからは何度も何度も彼女のその目に引きずられた

しかし「カット」という声が掛かると、彼女の目から俺への思慕は消えた
何も感情の入らない能面笑顔で俺に頭を下げると、カメラに向かっていった

今も彼女はカメラに向かって元気に走っていった

その後姿をはぁと溜息をついて見送った俺の背中を「お疲れ」と言って社さんが叩いた
「蓮、今日の打ち上げどうする?」
「明日オフだから出ます…用事も夜だし」
「…深見さんと逢うのか?」
「ええ、クリスマス・ディナーに。それにしても謎なんですよね」
「謎…?何がだ?」
「…俺の手帳の25日の欄にでっかい丸が書いてあったんですよ。しかもピンクで」

社さんの目が見開かれた

「25日に…丸………そうか…」
「社さん?何か知っているんですか?教えてください」
「…何をそんなに気にしているんだ?…それに意味は無いよ、もう」
「"意味はない"…?"もう"…?……そうですか」

社さんがこんな風に黙り込んだら絶対に教えてくれない
ずっと気になることが判るチャンスだったが、俺は諦めることにした

タイミングよく俺の携帯が鳴ると、液晶には"社長"の文字

「はい」
「おー、蓮か?明日なんだけど、昼間は絶対に1人で家にいてくれないか?」
「え…?ま、まあ良いですけど」
「良かった。お前に贈り物を贈ったからな。絶対に1人で受け取れよ」

言うだけ言うと社長は電話を切った
「社長か?」と問う社さんに頷くと、俺たちも打ち上げ会場に向う準備をした



会場に着くと、社長とマリアちゃんが来ていた
LMEの3人が重要な役をやったというので無理やり参加したらしい

気難しいマリアちゃんが、"お姉様"と言って京子さんを慕っているのには驚いた
マリアちゃんはカル鴨の雛のように京子さんの後をついて回っている

「「「お疲れ様でしたーーー!」」」

俺と京子さんと琴南さんはスタッフから大きな花束を渡され、俺はそれをマリアちゃんに上げた
「ありがとう、蓮さま」と喜んでくれたが、小学生が抱えるには少々大きかったのかヨタヨタしていた
その可愛らしい姿に打上げ会場はほんわかと温かい空気が流れていた

打ち上げは異様な盛り上がりを見せていた
琴南さんと社さんと、驚くことに社長もグデングデンに酔っ払っていた
3人とも自棄酒をしたような感じで、俺は彼らの愚痴を聞き続けた
「もったいないだの」「水臭い」だの、さっぱり判らないことを言うのは酔っ払いのセオリーだ
始めの1時間は3人に付き合って飲んだが、いい加減に疲れて帰ることにした

「俺、帰りますから」

見渡せば打上げ参加者の半数は既に帰宅していた
京子さんもマリアちゃんと一緒に帰ったようだ…未成年だと言っていたしな
帰ろうと腰を上げた俺の腕を、社さんはぐっと掴んで言った

「明日は楽しめよ〜、れ〜ん〜」
「…何をですか?」
「明日になれば分かるさ〜」

腑に落ちないところがあるものの、俺はこれ以上酔っ払いには聞けないと思って帰路についた
夜空では月が綺麗に光っていた


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