ビーッとガムテープで蓋を止めると、段ボールの天面をポンッと叩いた
元々荷物は少ないので、米国に送る箱はかなり少ない

「よし、これで荷造りは完了。大将たちに挨拶しなきゃ」

ふっとスーツケースの横に置いた紙袋が目に入った

「この花束は女将さんにあげようかな」と、私は紙袋から花束を抜いた
花束を構成していたピンクの薔薇が目に入る

"蓮、見て見て。蓮の手帳の25日のところっ!"
"クスクス…大きなピンクの丸だね。そんなに楽しみ?"

忘れるって決めたのに…

私はフルフルと頭を振ると、私は花束を持って下に行った


「大将、女将さん。長い間お世話になりました」と頭を下げると、大将が渋い顔で頷いた

「お前が決めた道だ、頑張って来い」
「はい!」
「辛くなったらいつでも帰って来い!ココもお前の家なのだから」
「はい!ありがとうございます」

「キョーコちゃん、体には気をつけるんだよ?」
「はい」
「何かあったら直ぐに連絡を頂戴」
「必ず手紙を書きます。女将さんたちも遊びに来てください」
「海外なんて怖いよ。キョーコちゃんがいつでもおいで」
「はい!」

別れが辛くなるので、挨拶を済ますと務所近くのホテルで一晩を過ごした
翌朝、私はあのピンクの制服に着替えると、鏡の前に立った
初めはこの目に毒なショッキングピンクが大ッ嫌いだった

「人間変われば変わるものね…」と呟くと、姿見に映った自分をビシッと指差した

「さあ、キョーコ!最後はビシッと決めるのよ」


私はタクシーに乗ると、蓮のマンションの前で降りた
見慣れたエントランスの前に立つと、懐かしさに胸が詰まった

1年前までほとんど毎日のように来ていた場所…

(いけない、いけない)と頭を振ると、エントランスボックスに向った
蓮の部屋番号を押して『呼出』
ピンポーンと高めの音がして数秒後、『はい?』という声が響く
少し警戒したような蓮のテノールの声
私はスーッと深呼吸すると、元気に挨拶した

「おはようございますっ!ラブミー部のキョーコです」
「…はい?ラブミー部!?」
「依頼を受けて敦賀さんのお世話に来ました。あーけーてー下さい」

そう言って私はカメラに向ってにっこりと笑った


Eyes #05


液晶一杯に広がる京子さんの笑顔
今までとちょっと異なる雰囲気の笑顔に俺の心臓がトクンッと鳴る

「もしもーし」
「あっ!ごめん。で、依頼って誰から?そもそも君はラブミー部だったの?」

京子さんがラブミー部なんて…誰も教えてくれなかったぞ?
そもそもLMEを代表する実力派女優がラブミー部=LME社内の雑用係なんて…

「後半の質問は『はい』です。前半は……内緒です」
「そんな理由じゃあ、芸能人でもある女の子を家にあげられないんだけど」
「分かりました」

おや…?
思ったよりもアッサリ…………ん、電話?
液晶画面の彼女が電話をしながらペコペコ頭を下げている
やがて切断ボタンを押したんだろう、ふうと一息つくとニヤッと笑った

「京子さん?」

おや…?何か気に食わないことを言ったかな?
なんか笑顔に凄みを増したんだけど…さっきの自然な笑顔はどこへ?

「敦賀さん、電話が鳴りますよ?」
「何言って………………本当だ」

煩く存在を主張する携帯電話を獲ると、社長だった

「よお、蓮。キョーコ君がそっちに言っただろう」
「はあ…」
「社長命令だ。キョーコ君の受けた依頼を全うさせてやれ」


俺は玄関前で彼女と対面していた

「京子さん、一体君は何を?社長から彼女の依頼を受けてやれと…」
「はい。今日一日、お時間を頂けませんか?」
「…夜までなら良いけど…」

一瞬彼女の瞳が揺らいだが、「それで良いです」とにっこり笑った



「敦賀さん、お昼ご飯は食べましたか?」

時計を見ると12時…正にお昼時
予想に違わず、蓮の答えは『食べていない』だった
やっぱり…

「しっかり食べてくださいね?社さんを困らせちゃダメですよ?」
「あ…ああ…」
「じゃあパパッと作っちゃうんで、敦賀さんは…寝ていてください」

蓮の疲れた顔を見ていたくなくて、私はソファを指差した
最後に一緒に過ごすことが願いだったけど、無理させちゃいけない
蓮は「ではお言葉に甘えて」と言って素直に横になった

数分後、寝息が聞こえ始めた
普段より数歳若く見える蓮の寝顔に、私の心は温かくなった
換気しようとしたのか、開け放たれた窓から気持ちの良い風が入ってきた
私は風に誘われるようにベランダに出ると、1年ぶりの景色に見入った
そよっと吹いた風に、ベランダに並ぶ植物が揺れた

"緑は人の心を和ませてくれるのよ "
" 分かった分かった。キョーコの好きなのを買って良いよ。君が世話するならね"

蓮の部屋のベランダは南向きで日当たりがよく、広い部屋に比例するようにとても広い
そんなベランダが殺風景だったので、蓮のOKをもらって直ぐにいくつかの植物をもちこんだ
ちょいちょい、と触ると葉っぱが少し水で濡れていた
料理や掃除など家庭的と呼ばれる事が苦手な蓮が頑張って世話をしてくれているようだ
葉っぱの一部が少し枯れているのに気づいたので、私はベランダの物置に足を向けた
緑に囲まれるように鎮座する赤い物置は、園芸用品を入れる用に蓮が買ってくれたものだ

"蓮、このダイヤル式ロックって好きな番号4桁だって。何にする?"
"キョーコの誕生日で良いんじゃない?…俺たちの記念日にもなるんだし"

「1…2…2…5……よし、開いた」

物置の中を見ると、1年前と変わらずに如雨露や栄養剤が綺麗に入っていた

「…?思ったよりもキレイね…。意外に面倒臭がるからシャベルも泥だらけかと思った」

独り言を言いながら栄養剤のアンプルを出すと、いくつかの鉢植えに挿した
よしっと腰を上げようとした瞬間、強い風が吹き室内のカーテンを大きく捲り上げた

「いけないっ、起こしちゃう」

私は急いで部屋の中に入ると、静かに窓を閉めた
ふうっと息をついて、そーっと蓮の顔を見る
先ほどと変わらぬ安らかな寝顔に、私の口元がふっと緩んだ
風で乱れたのか、額に掛かった髪を梳く
相変わらずサラサラな髪………それにキレイな顔
そーっと蓮の唇を指でなぞった
昔、ドラマの演技練習中に蓮になぞられた様に

「あのときは吃驚したんだから…」

小さく囁くと、私は顔を蓮の顔に近づけて、そっと唇を重ねた
最初で最後の…私からのキス

" ねえ、たまにはキョーコからキスしてよ "
" 恥ずかしいから嫌……………………けれど、いつかね”

「"いつか"が出来て良かった。寝込みを襲うような形だけど…」

蓮の寝顔が揺らぐ水でぼやけた

「最後だから…最後にするから…私が責めるのを赦してね」

蓮の頬をそっと触りながら、私のずっと言いたかった事が口から零れた


「どうして私のことを忘れちゃったの?」


自分で言ったことなのに、言ったことで心の均衡が崩れた
暫く私はその場を動けず、荒れ狂う心を静めるのに一生懸命になっていた

「ん…」

小さく呻いた蓮の声で私はハッと現実に戻った
蓮の顔を見ると頬に数滴だけど私の涙がついてしまっている

「や…やだ、しっかりしなきゃ」

そっと袖で蓮に付いてしまった涙の水気を吸い取る
よく見るとソファにも涙が零れてしまったようだが、既に吸い込まれて手が打てなかった

「これも"覆水盆にかえらず"なのかしらね…」



トントン トントン

コトコト コトコト

優しい音が聞こえてくる
懐かしい…
そう、俺はよくこうして音を聞いていた

薄っすらと意識が覚醒に向けて上昇している
だけど、目を覚ましたくない

この夢が永遠に続いて欲しい

俺の願いとは裏腹に聴覚と嗅覚は目覚めたようだ

良い匂いがする
なんでだろう…安心する…

俺の意識は温かい何かに包まれて再び沈んでいった



「よし!出来た!」

目の前に並べた料理を見て、私は満足した
不意に昨夜交わした社さんとの会話を思い出す


「キョーコちゃん、明日は蓮の家に行くんだよね。何をするか決めた?」
「いいえ…ただ一緒に居たかったんですけど…何をしようかまでは」
「じゃあ、俺がリクエストしてもいいかな?」
「え…ええ、どうぞ?………あ、もしかして"飯を食わせろ"ですか?」
「御名答!…蓮のヤツ、また昔の偏食に戻っちゃってさ。頼むよ」


「これだけ蓮の好きな食材が並べば大丈夫よね…味覚が変わっていなければ」

この懐石料理は蓮の為にアレンジして作ったんだもの
本当に…あんなに大きな身体をして食が細い上に食事に興味が無いんだから

頭の中にわいた怒りに気づいて私は苦笑した
どうも蓮の偏食癖だけは、相変わらず許せないらしい

昔と変わらないところに置かれていたタッパーをいくつか取り出し、料理を詰める
1週間は食い継げる様に、保存のきくものは冷蔵庫にしまった

「このことも…社さんに言っておかなくちゃ」

水と少量の栄養食しかなかった冷蔵庫が料理で一杯になったことに満足
使った調理器具を洗って、元通りに戻す
野菜の皮はディスポーザーに入れて処理し、ゴミも捨てて…よし、終了

元通りキレイになったキッチンに満足して、エプロンを外した

「もう夜…か…」

相当疲れていたのか、蓮はまだ寝ていた
用意しておいたメモを取り出してソファの前の机に置いた

「メリー・クリスマス……どうか、幸せになってね」

決心が鈍らないうちに帰ろうと、コートやバッグを持って蓮の家を出た



パタンと玄関の扉が閉まる音で、俺は目を覚ました
窓の外はもう暗く、部屋の中には人の気配が無かった

しまった!
京子さんは夜までって約束だったのに、俺ずっと寝て…

起き上がろうとソファに手を付いたとき、そこが湿っていることに気づいた

…俺、まさか涎を垂らしていたのか?

醜態を晒してしまったことに顔が熱くなる
反射的に口元を拭うと、俺は身体を起こした

部屋の中はシンッとしていて、やはり京子さんは帰ってしまったようだ
風の様に現れて去って行ったので、彼女がここに来たのは夢なのでは?
狐に化かされた気分で俺は凝り固まった首を回すと…良い匂いに気づいた


「あれは…」

少し離れた所にある4人掛けのダイニングテーブルに並ぶ料理に俺は驚いた

「…作ってくれたのかな?」

何処から出してきたのか、沢山の小さな碗に入った色取り取りの料理
料理に詳しくない俺でも、芸術的にキレイなのは判る
それに匂いから判断しても、とても美味しそうだ

あれ?

ソファの脇のテーブルにメモが置いてあった
寝る前にこんなのは無かったから、多分京子さんが置いて行ったんだろう
…俺がずっと寝ていたから、怒りの伝言かな?
恐る恐るメモを開いた

真っ先に飛び込んだのはMerry Christmas!という文字だった

ピンク…クリスマス…

何故か気になる
胸がザワザワして、第6感が俺に警鐘を鳴らす


"Merry Christmas!

本日はラブミー部の任務遂行に御協力頂き、誠にありがとうございました
依頼人の希望は十分に果たせましたので、失礼ながら帰らせていただきます

冷蔵庫には勝手ながら1週間分の料理をストックしておきました
敦賀さんの舌に合えばよいと思っています"


俺は立ち上がって冷蔵庫を開けて………吃驚した

「誰がこんなに食べるんだ?」

目の前に並ぶタッパーに圧倒されて、俺は扉を閉めると再びメモを読んだ


"冷蔵庫の中を確認して呆れているんでしょうね
「誰がこんなに食べるんだ」って"


「……君は超能力者か?」

メモの通りに行動して、その通りの台詞を吐いてしまった
そのことに悔しさを感じるよりも、面白さを感じ俺は更に読み進めた


「あれ…?2枚目がある?」

メモと言うより手紙だな
そう思いつつ2枚目を読もうと紙を捲ろうとした瞬間、インターホンが鳴った
俺はズボンのポケットにメモを押し込むと受話器に向かった
液晶を見ると、恭子が映っていた
何も言わずに『開錠』を押すと、恭子も勝手知ったる様子で入ってきた

「あら、まだ用意していなかったの?早く約束のディナーに行きましょ?」

開口一番の挨拶に俺は内心溜息を吐いた

「それなんだけど、今日は家で食べないか?」
「…ケータリングなんて嫌よ。折角…ホテルの最上階レストランを予約したのに」
「そこって3ヶ月前から予約が一杯の所だよね。よく取れたね」
「…蓮の名前を使ったらOK貰えたの」

またか…

「恭子…」
「蓮が自分の名前を使って利益を得ようとするのが嫌いだって判っているわよ」
「じゃあ何で?」
「だって…折角のクリスマスだし…少しくらい…」
「そう言ってもう何度も同じことを繰り返しているじゃないか」

「キャンセルしてくれ」と言うと恭子はキャンキャンと喚き始めた
どれだけ説得が大変だったか、など上げ連ねたが俺は一切取り合わなかった
レストランの方も余計に設置した1テーブルが無くなれば広く使える筈だ

「キャンセル料は俺が払うから。それにもう料理はあるんだ」

そう言ってダイニングテーブルを指し示したとき、恭子はアングリと口を開けた

「何これ…スッゴク綺麗。どこのお店のケータリング?」
「いや、これは…」
「あ、その話は食べながら聴かせて。匂いかいだら食べたくなっちゃった」
「ああ」

恭子はキッチンに入ると、ガサガサと何かを探し始めた

「何をしているんだ?」
「箸を探しているの。だって蓮の分しかそこには無いんだもの。…んもー、何処?」
「んー…いつもの所にない?」
「いつもの所って何処?私ここに水を飲む以外に入るの初めてなのだけど?」

あれ…?
"いつもの所"って何だ?
それに…

「恭子…」

俺は未だにキッチンでゴソゴソと探している恭子に静かに言った
「何?…蓮も手伝って?」と恭子は顔を上げることは無かったが、気にせずに言った

「恭子がここで料理してくれたこと無かったっけ?いま初めてって言ったけど?」

「あ…」と小さな声が聴こえると、恭子の顔色がサッと変わったのが判った

変だ…
記憶と現実が狂っている

では、歯車が狂ったのは何処?

俺の記憶が確かならば、誰かがここで料理を作ってくれた
俺は確かにあのテーブルで、誰かと向かい合わせになりながら食べた

料理…と考えたとき、俺は冷蔵庫一杯のタッパーを思い出した

何で京子さんは俺に何も聞かずに、鍋や皿、ましてタッパーのありかが分かったんだ?
誰かに…社さんか、依頼人の誰かに聞いたのか?
いや、それはありえない
社さんはここに入ったことがあってもキッチンに入った事は無い
じゃあ、京子さんへの依頼人?
それは誰だ?

頭に浮かぶ数々の記憶の断片で鈍る思考を、頭を振ってクリアにした

考えろ

俺はベランダに歩いていくと、窓を開けて新鮮な空気を吸った
恭子が何やら言っている様だが、俺は無視した
外に出ようと思ったとき、俺はサンダルの向きが変わっていることに気づいた
俺は確かつま先を外に向けて…

"もー、サンダルは踵を揃えて、つま先を外に向けて下さい"
"そんな、トイレのスリッパの向きまで気を使うなんて………判りました"

君は誰だ?

"この赤い物置可愛い〜。これにしようよ"
"相変わらずメルヘン思考だなぁ"

赤い物置?
俺はベランダの隅にある物置に目をやると、扉が開きっ放しになっていることに気づいた

「彼女が開けたのか?」

俺も知らない暗証番号
1…2…2…5?

1225…何だ、これ?
ふと、物置の横を見ると小さなモミの木があった

"…モミの木?"
"違うわ、コニファーよ。来年もこうしてクリスマスを一緒に祝おうね"

クリスマス…
そうだ、『1225』…12月25日はクリスマスだ

クリスマス…?
いや…12月25日は他にも……

ズキンッ!!

うわっ!!
蓮っ!?

駆け寄ろうとした恭子を"来るな"と手で制する

"約束ですよ?来年のクリスマスに…"

また何かが聞こえる
でもクリスマスの先が分からない
俺は確かに去年のクリスマスを誰かと過ごした

ズキン…ズキン…ズキン…ズキン…ズキン…ズキン…

クリスマスに何があるって言うんだ?

ズキン…ズキン…ズキン…ズキン…ズキン…ズキン…

頭痛が酷くなる

視界がグラリと揺れたとき、再びインターホンが鳴った
その瞬間、パチンッと掴みかけたものが弾けた
俺はふうっと詰めていた息を吐くと、青くなっている恭子を無視して受話器に向った
今日はよく鳴ると思って液晶を見るとサンタクロースが立っていた

「はい?」
〔お届けものです〕

英語?

〔間違いじゃないのか?家に子どもは居ないんだけど〕
〔いいえ、ミスターツルガですよね?確かに貴方にお届けものです〕

どうやら間違いではないらしい
父さんたちが悪ふざけで送ってきたのかな?
〔どうぞ〕と言うと、サンタは"ジングルベル"を唄いながら入って来る様だった

「蓮?どうしたの?」
「いや、俺に届け物だってさ」

玄関でベルが鳴ったので扉に向うと、錠を外してサンタを招きいれようとした

〔どうぞ…〕

しかし目の前のサンタは何も持っていなかった

〔あの…荷物は?〕
〔荷物は………こちらです〕

そう言ってサンタが脇に寄り、サンタの背後には黒髪の美女が立っていた

〔ゲッ!!〕
〔あらぁ、ご挨拶ねぇ♪お久しぶり、レ・ン♪〕
〔スー…ジー…〕

米国にいるはずの幼馴染スザンヌ=レヴィーが鬼の笑顔を浮かべ仁王立ちしていた


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