「蓮、今日は正面ロビーには立ち入り禁止だ。オーディションがあるからな」

ああ、もうそんな時期なんだ

「知っているか、蓮?LMEの一番の人気セクションはどこかって」
「例年なら俳優部ですけど、わざわざ言うってことは違いますよね」
「ああ。聞いて驚け。ラブミー部だ」
「……………はい?」

社さんが説明してくれた内容は、納得の行くような行かないような内容だった

「奏江とキョーコちゃんがあそこの第一期生だろ?」
「ええ、まあ。…っていうか、彼女たち以外居ないじゃないですか」
「…まあそう言うな。んで、琴南奏江と京子と言えば今や超実力派の俳優だし」
「それに"姫"とさえ言われる2人……でしょ?」
「なぁんだ、知っていたのか」

社さんは「つまらん」と言って肩を竦めた

「俺も最近知ったんですけどね。それにしても2人とも凄い…本当に凄いですよ」
「だなぁ。でも俺この業界に結構いるけど"人魚姫"って初めて聞いたよ」
「ああ…そういえば。かぐや姫は前任者を知っていますけど…」

「姫の話ですか?」

後ろから凛とした声が響き、振り向けばそこにはかぐや姫こと琴南奏江がいた


Eyes #12


〔キョーコッ!そろそろ時間だぞ、良い加減降りて来いっ〕

遥か下方でクーパパの声がし、慌てて時計を見ると出発まであと1時間だった

〔はぁい、直ぐに行きます〕
〔慌てなくていいから、無事に降りて来いよ〕

そう言うとパパは私の荷物からタオルやスポーツドリンクを取り出す
最近私は筋力トレーニングの為にウォールクライミングをしている
筋力だけじゃなくて、バランスや反射力も使うんだけど、かなり疲れる
新しい作品がワイヤーアクションを取り入れているので、この手の訓練が必要だった


〔ほら。それに携帯も鳴っていたようだぞ〕
〔ありがとう。…あ、新開監督だ〕

パパからスポーツドリンクとタオル、そして着信を知らせるランプの付いた携帯電話を受け取る


「映画の完成試写会に出てくれないか?」
「はい?……監督、いま私は米国にいるんですけど」
「解っているよ。だけどなぁ…出来たらでいいんだけど、試写会に出て欲しいんだ」
「…社長は何て?それにいつですか?」

新開監督は無茶な人だけど、人に無理をさせる人ではない…はず
そんな監督が直々にお願いなんて、何か困ったことがあるのだろう

「いや…実はこれは宝田社長と話した結果なんだけど、"姫"のお披露目をしないとなって」
「ひめ?」
「…あれ、もしかして聞いてない?おっかしいなぁ…確か宝田さんの孫が君に言ったって」

マリアちゃん?

マリアちゃんとはこの間電話したけど何か話したっけ…ひめ…ひめ…

あー

「人魚姫ってやつですか?」
「そーだよ。あー、良かった通じていて…」
「CMのやつですよね。マリアちゃんがお姉さまは人魚姫なのよーって言っていたから」
「…ん?」
「もうずっと前からオンエアされているわよって言ったんだけど、何でか興奮していて」
「…通じていないじゃないか…」

電話の向こうでは新開監督が溜息をついていた
「監督?」と言うと、「いいか"姫"っていうのはな」と説明してくれた

監督の説明に因ると、芸能界では容姿・実力・人柄等を厳選して"姫"と呼ばれる女性が生まれる
"姫"に選ばれることは芸能界に籍をおく女性たちの夢であり目標なのだ…そうだ?

イマイチよく解らなかったので「はあ」と答えると、「まあ、近いうちに解るさ」と諦めたように言われた

「んで、君が人魚姫に選ばれたから、LME側としても君のお披露目舞台を作る必要があるんだ」
「そうだったんですか。お仕事なら仕方ないですね…行きますよ」
「本当か!?いやー、助かった。ちなみに相棒の琴南君はかぐや姫に選ばれた」
「え?モー子さんが?」
「ああ。だから2人で一緒にお披露目だ。いやぁ、俺の映画の主演と助演女優が"姫"とはな」

普段は飄々としている感のある新開監督がどこか浮かれた感じで「じゃあな」と電話を切った
切る前に出した、私の帰国の条件を了承して



「お披露目?」
「そうなの。"姫"の選出には人気も関係しているから社長もNOとは言えないのよね」
「まあ良かったじゃないか。顔を売るチャンスと思って」
「そうなんだけど、一応チャリティチックなことをしなきゃいけないのよ…どうしよう」
「大変なんだね、色々。まあ奏江のお披露目は次の試写会が良いんじゃないか?」
「そう言っていたわ、社長も」

そう言うと琴南さんはチラッと俺を見た

「試写会にあわせて…」

琴南さんの言葉を遮るように俺の耳、いや身体に凄まじい振動が襲った

「な…なんだ?」

周りを見ると琴南さんも社さんも慌てている
咄嗟に下のロビーを見た俺の視界に象に乗った社長が入った

「おーーーーーい、蓮っ!」
「…社長」

社長の声にあわせるように大きな象がパオオオオンと鳴く
オーディション受験者が悲鳴を上げている

来年、うちに入ってくる新人はいないんじゃないか?


「探したぞ、蓮」

それなら事務所内に放送を流してください
馬じゃあるまいし、象に乗って事務所内を巡回するなんて

「何ですか、社長?」
「よしよし、社君もいるな」
「社長?」

「来月の完成試写会なんだが蓮は欠席しろ」

完成試写会って…俺がキョーコと共演した映画の?

「何でですか?」
「キョーコ君が帰ってくるからだ」

え…?
キョーコが…帰ってくる…?

「社長、それなら俺は…」

キョーコに一目でも会えるなら…

社長が俺の顔を見ながら、とても言い難そうに口を開いた

「言いたくは無いんだが…………キョーコ君からのお願いなんだ」

え…?
キョーコのお願い?

「蓮が出なければ……試写会に出ても良い…だそうだ」

それを脳が認識した瞬間、俺は足元の地面が消えたような感覚を味わった



〔キョーコ、クーから聞いたんだが、クオン君が居なければって条件で了承したんだって?〕
〔うん…我侭だって解っていたんだけど…でも、会って普通に話す自信が未だ…〕
〔ああ、いいよ。私こそすまなかったね。それは仕方がないさ〕

そう言うとルイスパパは私の頭を撫ぜてくれた
新開監督も戸惑っていたようだけど…何とか承諾してもらえた

〔パパ…やっぱり難しいね。レンも私もこの世界で生きているんだもん〕
〔そうだな…。でもキョーコ、お前もクオン君も稀有の才能を持っている役者だ〕
〔パパ…?〕
〔きっとお前たち2人の共演を求める声もあるだろう。覚悟しておきなさい〕

やっぱりこの世界に居る限り、蓮から逃げることは出来ない

俯いた私の頭を、パパがポンポンッと叩いた

〔いつかの話さ、いつかのな…。だからそんな辛い顔をしないでおくれ〕
〔…うん、解った〕
〔時が解決するよ、時が。だから焦らずに自分の気持ちに正直にいきなさい〕

そう言ってにっこり笑ったパパに、私は〔ありがとう〕と言って抱きついた



「蓮、大丈夫か?次は雑誌の取材だぞ」

重い足を引きずって何とか楽屋まで来た俺に、社さんが声を掛けた
それにつられて社さんの方を見ると、彼はとても心配そうな顔をしていた

「…大丈夫ですよ、仕事ですから。しっかりこなします」
「頼むぞ。あと…最新映画のことも聞かれると思う。…頑張れよ」
「はい」


準備が出来ると、計ったようなタイミングで雑誌の記者が入ってきた
「よろしくお願いします」という彼女に笑顔で挨拶をする

俳優"敦賀蓮"の演技を始める
型に嵌ったような無難な質問に答えていく

「それでは最新映画についてお話を聞かせていただきたいと思います」

やっぱり…

「同じ事務所の後輩である京子さんとの共演の感想を聞かせてください」

何も知らないと解っていても、目の前の女性の言葉が俺の傷に塩を塗る

「京子…さんはとても演技の勘のいい方でしたね。相手役を演じていてとても楽しかったです」
「麻理に扮した彼女はとても儚げだったと聞きましたが、普段の彼女はどんな女性ですか?」
「普段の…彼女…?」
「え…ええ…LME事務所内…とか…」

拙い…この質問に”今の”俺は答えられないことになっている
チラッと横目で社さんを見ると、社さんも心得たように立ち上がった

「チョッと失礼。次の仕事の件で俳優に至急確認することがありまして…」

そう言って社さんは質問の答えに窮した俺を隠してくれえた
「それでは休憩にしましょう」という女性の声をどこか遠くに聴こえる
パタンと閉じられた扉の音を最後に、俺の緊張の糸が切れた

ずるずると椅子に身体を預けた俺に、社さんが飲み物をくれる

「蓮……」
「ありがとうございます…ちょっと今の俺には”彼女を忘れた俺”の演技はキツッ…」

俺は堪らなくなって目元を掌で覆った
「蓮…」という社さんの声は聴こえるが、何も答えられなかった
ポンポンと肩が叩かれると、社さんの声が耳に響いた

「解っているよ。予定をずらすからチョッと休め…俺も席を外すから…」
「はい…すみません…」

パタンと再び閉じられた扉の音を聞いた

"蓮"

キョーコの笑顔が頭に浮かぶ

"蓮…どうして…?"

泣いてなんて欲しくないのに、彼女の笑顔が泣き顔に変わる

そう…彼女を泣かせたのは俺

精一杯彼女が伸ばしてくれた腕を取らなかったのは俺

キョーコはどんな気持ちで俺と共演したんだろう

俺は立ち上がってカバンを取ると、ゴソゴソとさっき社長にもらった探した
裏ポケットに曲がらないように仕舞い込んだハート型の紙を取り出す

「"最後に良い想い出をありがとう  京子"か…」

見慣れたキョーコの綺麗な文字
日付は先日のクリスマス

女優・京子からLMEラブミー部の最上キョーコへの依頼は思い出作り

"蓮が出なければ試写会に出ても良いそうだ"

社長の言葉が頭をグルグル回る


コンコンと扉が叩かれ、社さんが入ってきた

「蓮、落ち着いたか?」と声を掛けられ、俺は頷くしか出来なかった

いつか必ず京子と共演する為に

敦賀蓮の人気を落とすわけにはいかない



飛行機が無事着陸して、久しぶりに日本の地を踏んだ
1年も離れていないのに"懐かしい"と思えるのは日本が故郷だからなのか

〔キョーコ、準備は出来たぞ。降りるか?〕
〔…クーパパまで日本に来なくても大丈夫だったのに〕
〔何を言っている。お前の試写会に家族代表として出るんだからな〕

パパとママたちは先日"あみだくじ"で『誰が日本に行くか』を決めていた
見事保護者の座をゲットしたらしいクーパパは喜んで仕事を調節していた

〔さて…夜まで時間があるけど。お前はカナエ君に会うのか?〕
〔うん、約束しているから。パパは社長に会うの?〕
〔ああ、俺も約束しているからな〕

今後の予定を話しながら、ゲートに向う
目の前の扉がガーッと開くと、黄色い歓声に出迎えられた

〔な…なにっ!?〕

吃驚して足をとめた私を他所に、クーパパは平然と歩いていた

〔ん?…ああ、お前は初”出迎え”か…そういや経験してなかったな〕

で…出迎え…これが「出迎え」なの…

〔…パパを出迎えたことはあったけど、自分が出迎えられたことは…こんな…〕

必死の形相で押し寄せる人波…さらに必死な形相で人波の決壊を防ぐ警備員

正直言って、怖い…

〔あはは、大丈夫だよ…こうやって手を振ってやればいい〕

ウインク1つ残してそう言うと、パパは出迎えの人たちに向かって手を振った

キャーーーーーーーーーー///!!

す…ごい…悲鳴が上がっている
あ…あそこでは倒れた女性が…なんて人なの…

ポンッと頭を叩かれ私がパパの顔を見上げると、クイックイッて顎で前を指していた

な…なに?まさか私も…手を………

〔ほら、見本は見せただろ?役者は度胸が大事だぞ?〕

う゛…っ

よ…よしっ!女は度胸だっ!!

意を決してパパの真似をして手を振る

キャーーーーー!!お帰りーーーーーー京子!!

え…………………………『お帰り』?

ポケッとしていたわたしの頭をパパが叩いた

〔お前…日本のファンに恨まれていると思っただろう?〕
〔え…!?知ってっ!!〕
〔クラリスに聞いた。…お前、彼女にはそういう相談が出来るんだな〕
〔う゛…だって他はみんな芸能関係だし…クラリスママならそういう話をゆっくり聞いてくれるから…〕
〔まあいい…で、お前も分かっただろ?恨まれていないって〕

パパの言葉を聞いて、私は周りを見た

みんな笑顔で手を振ってくれている…

笑顔だし…皆わざわざ此処まで来てくれたんだよね…

〔パパ…私って恵まれているね〕
〔やっと解ったか。俺たちの娘なんだから愛されていて当たり前なんだぞ〕

そう言ってパパは私の頭をグリグリと撫でた

〔で、今お前がすることは何だ?下を向いていることか?〕

違う…下を向いていちゃダメだっ!

〔………いい顔になったじゃないか…〕

顔を上げたわたしの表情を見て、パパがニヤッと笑った

〔笑顔で手を振ってやれ…ありがとうって気持ちを込めて、な〕
〔うん〕

私はそう言うと、SPが制するのを遮って、出来るだけ来てくれた人との握手に応えた
こんな私を応援してくれてありがとう…という気持ちを込めて…



『今朝、俳優クー・ヒズリ氏と女優・京子さんがそろって来日しました』

アナウンサーの声と同時に写しだされた光景を俺はジッと見ていた

ファンと握手するキョーコ
パンフレットにサインするキョーコ
父さんと嬉しそうに笑いあうキョーコ

笑っている……良かった…
米国に行って……父さん達に愛されて……キョーコは幸せそうだ…

キョーコに会うことは出来ないが心は満たされている
彼女と同じ日本にいる…それだけで嬉しい

にゃっ にゃっ

さっきまで俺の横で丸くなって寝ていたケーが起きたようだ
早速ソファに座る俺に挨拶をすると、足元に下りて足の指にじゃれ付き始めた

「こーら…くすぐったいよ」

そう言って俺が足を引っ込めると、遊び相手を無くした白猫は俺の顔を見上げた

「おいで」 と言って猫を抱くと、何も解らないであろう猫にTV画面を見せた

「この人が『キョーコ』。…俺の恋……いや、俺の大事な大事な人だよ」

キョトンと見上げてくる猫を見て、苦笑する

猫相手に何を真剣に言っているのだろう


Rurururururu Rururururururu

珍しく家の電話が鳴る
慣れないのかケーは俺の腕の中で暴れると、腕の拘束を解いて窓辺にすっ飛んでいく

「はい」
『俺だ』
「社長…?」
『今すぐ俺のうちに来い!!直ぐにだぞ』

社長はこちらの返事を聞かずにガチャンと電話を切った

「なんなんだ?」

俺は既に相手のいない電話に向かって呟いた
俺はカーテンの陰に隠れるようにしてこっちを見ていた白猫に言う

「なんだか分からないけど社長が来いってさ。お前も行くか?マリアちゃんが居るよ」

にゃーっという返事を聞いて俺は着替えるために寝室に向かった
外出着に着替えると、リビングの棚からゲージを出し、白猫にピンクの首輪を付けてから入れる
俺はゲージを持ち上げると駐車場に向かった


マンションの俺の駐車スペースには大きな黒いSUVが停まっている
前回のオフに、俺はディーラーに行った

「敦賀様、本日はどのようなご用件で?」と愛想のいい店員に俺は外に止めた車を指す
「アレを売って、新しい車を買いたいんですけど」という俺の言葉に、彼は尻尾を振って飛びついた

何か欲しい車があるわけでは無かったし、あの車にはキョーコとの思い出もあったけど
あの車には恭子が乗った事実も、過去一年近い苦い想い出も染み込んでいる

適当にカタログを見せてもらうと、黒いSUVが目に入った
昔キョーコとテレビを見ているときに「この車カッコイイ〜♪」と言っていた車だったことを思い出した

そう認識した瞬間、俺は「これを下さい」と告げていた
一年以上前のモデルだった為、ディーラーは別の車を推そうとしたが、俺は『これが良い』と断った

別にお金が無かったわけではない
(恭子には散財させられたがまだ十分にある)

俺は消したかったんだ…
キョーコを傷つけ続けたあの1年を

昔の車を買ったからといって戻ることは無いと解っていたけれど


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