モー子さああああん!!お久しぶりいいぃぃぃぃ」

叫びながら私はモー子さんに抱きついた
ここはラブミー時代から2人で来ていたアイスクリーム屋さんの前
1時間ほどだるまやで大将と女将さんに会い、大将が新しく考えたデザートに舌鼓を打った
「キョーコちゃんの為に作ったのよ」と、帰り際に女将さんに教えてもらった事実に胸が温かくなった

「はい、久しぶり」と私をかわしたモー子さんは茶色のボブカットのウィッグの中を被っている
私も揃いで茶色でゆるいウェーブの掛かったウィッグを被って変装中

いつもテレビで見る格好とは全く違うからか、周りの人は私たちに全く気づかない
モー子さんは濃い緑のパンツスーツを格好よく着こなして、私もワインレッドのパンツスーツを着ている
「モー子さんみたいに格好よく決めたい」と思いつつ足元に目を落とす

「解ってはいたけど、アンバランスよね。スーツにスニーカーなんて」
「仕方ないよ。それにヒールのある靴よりこっちの方が楽で好きよ」
「相変わらずね、アンタは。元気してた?」
「うん。時差ぼけも気にならないくらい元気元気。モー子さんも元気だった?」
「ええ。なんせ今日の為にトレーニング三昧で身体を鍛えたもの」

モー子さんがウインクしてガッツポーズを作る
(美人…ううん、モー子さんは何をしても似合う〜♪)


Eyes #13


『トレーニングの褒美と再開を祝して』と注文したアイスを食べながら近況報告する
最後に残ったワッフルコーンをポリポリ食べながら、2人して喉の渇きを訴える

「近くにいい喫茶店があるわよ。この前も倖一さんと行ったの」

そう言ってモー子さんが案内してくれたお店は、屋外にも席がある喫茶店
ウエイターに料理を注文して、再びお喋りに華を咲かせていると隣から声を掛けられた

「ねぇねぇ、君たち超可愛いね。席を一緒にしない?それとも何処かに行かない?」
「一緒にしないし、行かないわ。それにこれから用事があるの」

モー子さんは手で男の人を追い払う
これがこの1,2時間で片手の指の数じゃ足りないから、本当にモー子さんって凄い
(軟派する気持ちも判るのよね〜〜、モー子さんは本当に美人だしぃぃ)

「流石モー子さん…変装していても美人っていうのは変わらないのね」
「はぁ?あんたも人のこと言えないでしょ?さっき道を聞かれていたのをみたわよ」

私はさっき道を尋ねてきた男の人たちを思い出した

「東京って道がわかりにくいのねぇ…あんなに迷子がいるとは思わなかった」

ガタンッという音とともに、目の前に座っていたモー子さんの肘がズレた

「モー子さん…?」
「……………キョーコ…ピュアなまま変わらないでね」

よく理解できないことも言われたけど、私はモー子さんと楽しい時間を過ごした
お店を出ると、私たちは目的地を目指して歩き始めた

「そろそろ時間ね…キョーコ、新開監督の指示通りに行くわよ」
「うん」

私たちは監督の指示通り、大通りに面した巨大スクリーンを見上げた


巨大スクリーンには天気予報が写しだされていた

東京は明日は晴れ…明後日は…って、何やっているんだろう
明日のフライトで帰るんじゃない

「始まるわね」
「うん!う〜〜〜、ドキドキする」
「緊張で?それとも…期待で?」

モー子さんが悪戯っぽく言う
お返しに私は(出来るだけ悪巧みしている風に)ニヤッと笑うと「全部っ」と元気よく答えた

「ねえ、あっちを見て」

モー子さんの指差す方を見ると、何人かの見知った顔と目が合った
親指を立てたり、ウインクしたり…みんな地味に合図を送ってくる

「準備万端って感じね」
「うん。何か楽しいね」

巨大スクリーンの映像が変わったのか、フッと暗くなり通行人が「何だ?」と見上げる
私の目にも真っ暗な画面が映り、『5』という文字が浮かび上がった

「4…3…」
「2…1…」
「「ゼロ」」

モー子さんと一緒にカウントダウンすると、パッと画面にが明るくなり新開監督が現れた
業界人には有名だけど、一般人への浸透率はそう高くない男の人の顔に通行人は?と首を傾げる

「これ…社長もやりたいってごねていたけど…目立つわね」

モー子さんの言葉にコクコク頷く

『初めまして。映画"刹那の記憶"の監督を務めました新開と申します』

『この作品に主演した京子と助演した奏江奏江がめでたく"姫"に選ばれたのでお披露目します』

『京子君、琴南奏江君。其処にいるな?』

監督が(裏のある黒い笑顔で)にっこりと笑うと、周囲がざわざわし始めた

「京子?日本に帰ってきたの?」
「そういやテレビでやってたっけ。俺、琴南奏江のファンなんだよな〜」
「そこって何処なんだろう」

まだ誰も私たちに気づかない

わたしは軽く足の筋を伸ばしてストレッチした
隣ではモー子さんも同じことをしている

『2人とも準備は出来たかな?』

『知っての通り、"姫"はボランティア等々のチャリティイベントをする義務がある』

『なので今回のイベントと会場費もろもろはLMEからの全寄付で行わせて頂いた』

『結果、君たちのギャラに反映するので覚悟して欲しい』

『ちなみに、今回の試写会で借りた会場は通常の10倍の大きさだ。さて、言っている意味が判るかな?』

そう言うと監督はニヤッと笑った

『御通行中の皆様。本日映画"刹那の記憶"の完成試写会へ皆様をご招待いたします』

キャーーーー!!やったーーーーー!!

周りで多くの歓声が上がる

お願いだから…少なくともこのうち50人位は来て欲しい…

『映画上映中にチャリティボックスを回しますので、皆様のお志を中に入れてください』

『集まったお志は全てアフリカの子供救済、動物保護、災害義援金等、有意義に使わせていただきます』

用意された会場の広さと掛かった費用を思い出しながら、私は心底この企画が空振らないことを祈った

『試写会会場までの案内人を用意しました。主演女優の京子と助演女優の琴南奏江です』

バラバラバラという音が聞こえたと思ったら、私たちは上からヘリコプターのライトで照らされた
私とモー子さんは同時にウィッグを外す

きゃーーーーー!!京子よ!!琴南奏江もいる!!

周りの声と同時に、私とモー子さんも周りには50人位のSPが付いた

『It's a SHOW-TIME♪』

新開監督の笑い声は、周りの歓声にかき消されてよく聞こえなかった



「はっはぁ、よーしよし、始まったな〜」

俺が部屋に入ると、社長が面白そうに笑い声を上げていた

「社長、どうしたんですか?……随分楽しそうですね」
「おお、準備できたか。ほら、テレビを見てみろ」

俺は社長の目の前にあるテレビに目をやった

東京のどこかなんだろうか…
ビルの間縫うように、何かを追いかけるように大勢の人が走っていた

「一体何事ですか?東京でテロでもって…えっ!?

俺の言葉の途中で画面が切り替わり、大勢の人間に追いかけられているキョーコが映った

え!?
キョーコ?
それに琴南さんまで!?

「しゃ…社長!!一体これは?」
「蓮。落ち着いて見てろって。さっきスタートしたばっかりだから」

悠然と酒を飲みながら、社長はテレビを面白そうに見ていた

落ち着けって…こんな大騒ぎ…

「大丈夫だって。試写会会場までは東京都の許可を貰って閉鎖してある」

アッサリと言い切った社長の言葉に俺の口はふさがらなかった

「ふ…封鎖って。事前に通知した訳じゃあるまいし。東京でよくそんな無茶苦茶な許可が」

社長が口ひげを撫ぜながら「ふふふん♪」と笑った

「都議会議員に数十名京子ファン倶楽部の会員がいてな。全主演DVDにキョーコの直筆サインでOKだった」


DVDで都心の封鎖をOKするなよ、政治家のおっさん
俺は日本の将来の危うさを改めて実感した

「で、キョーコたちの後ろを追っかけている方々は?」

政治家の不甲斐なさに泣く心を放っておいて、俺はさらに疑問をぶつけた

「彼らは京子と琴南奏江ファンの皆様だ。まぁ…一部お前や百瀬さんたちのファンもいるだろうがな」
「なんだってこんな事を?」
「"姫"のちょっとしたチャリティイベントだ。新開君を初めとして宝田一味で相談したんだ」

あの…鬼監督

呆れてものも言えない…"ちょっとした"ってレベルじゃないぞ?
何人警備員を使っているんだ?
俺は数ヶ月前に開いた"あの"会合を思い出し、不可能じゃあ無いな、と嘆息した


〔おー。準備できたな〜…見事に化けたじゃないか〕
〔父さん!?〕

開けた口がまだふさがっていない時、社長の部屋に父さんが陽気に入ってきた

〔何故ココに?キョーコの試写会に行くんじゃなかったのでは?〕

父さんは俺の疑問に答えずに、テレビ画面に目をやると嬉しそうな顔をした

〔行くぞ〜、勿論。愛娘の晴れ舞台だからな。キョーコたちもスタートしたようだしなぁ〕
〔ならば俺で遊んでいないで早く行ったら…〔クオン〕何ですか?〕

父さんが真剣な目をして俺を見た

〔この計画はミスター社と俺と社長、そして奏江君で立てたんだ〕
〔じゃあ今日の急なオフは…〕
〔アイツ、2日間不眠不休で調節したんだぜ。今この屋敷で泥のように眠っているよ〕
〔社さんここにいるんですか?〕
〔ああ。琴南君の製作発表には必ず行くから起こしてくれってメモを残してな〕

何と言って良いか解らなかった…
ただ俺の胸の中は社さんへの感謝で一杯になった

〔アイツに礼、言っておけよ〕
〔分かってます〕

頷く俺の周りを父さんがグルグル回っていた

〔よしよし、予想以上の出来だ。外国人の友人も多く集めたからな、お前の背も隠せるだろう〕
〔隠せるって…まさか、俺も試写会の会場に?〕
〔ああ〕
〔でも…キョーコが…〕

キョーコの邪魔をしたくない

心底行きたかった試写会だったのに、いざ行けるとなったら勇気か挫けた
そんな俺の肩を父さんがポンポンッと叩いた

〔大丈夫だ。親の私でも分からないんだから。いやぁ、流石ボスの専属だ。凄腕のメイクさんだ」

〔何で協力してくれるんです?俺は…父さんはキョーコの味方だと思っていました〕
〔ん…?まぁそりゃな。今回のことについては完全にお前が悪いからな〕
〔はい〕
〔しかしな。俺もお前に父の日のプレゼントのお返しをしなくちゃならなかったし〕
〔はい………………………はい?〕

ち…父の日ぃ!?

〔お前から父の日のプレゼントを貰うなんてなぁ。期待していなかった分嬉しかったよ〕
〔あ…ああ、社さんから父の日のことを始めて聞いて…世話になったから…〕

まさか…それのお礼がこれ?

〔おっともう行かないと間に合わないな、キョーコが不貞腐れる〕

そう言って唖然としている俺を無視して父さんは飛び出していこうとした

〔と…父さんっ!!…あ、ありがとう〕
〔クオン……。じゃあ、あとでな〕

ウインク1つ残して走り出て行く父さんの後姿を見送ったあと、俺はポツリと言った


「社長…父の日ってそんなに嬉しいもんですかね?」
「あいつは親バカだから」

俺はプレゼントを贈ったときの父さんの嬉しそな声を思い出した

「俺…昔からあの人の愛情は暑苦しいと思っていたんですよ」
「親バカの鑑だったからな、アイツは」
「でも、昔の方がパワーあったです。多分延々と数時間は俺に礼を言い続けました」
「知っている。お前が始めてクーに誕生日プレゼントを贈ったとき、俺は夜通しで話を聞いた」
「す…すみません」
「初めて"パパ"って呼んだって日には知人という知人に対し1人につき2時間は喜びを語ったらしい」

全くあの人は///

「多分、今のアイツの愛情はキョーコ君とお前に2分されているから丁度良いんだよ」

全くもってその通りだと、俺は力強く頷いた


ジュリーさんが肩を回しながら部屋に入ってきた

「ふーーーー、疲れたわあああ」
「ジュリーさん、ありがとうございます」
「蓮ちゃん、お礼なんて良いのよ。言い忘れたけど、その特殊メイクは水じゃ落ちないからね」

俺はこわごわと顔に触った
いつもより数センチは顔の皮が厚く感じる…変な感じだ…
鏡を見ると、金髪で青い目の眼鏡を掛けた40歳位の男性が映っている

『温和・紳士』というイメージは敦賀蓮と同じだが、年上の魅力というか渋みが備わっている
男の俺から見ても格好良いダンディな男性だ
ちょっと昔の社長の外国人版って感じがする

…ジュリーさんの好みかな?

「テン、ご苦労だったな」
「ダーリン♪ダーリンの頼みなら断れないわぁ」

社長はジュリーさんに飴玉を渡していた
あの人あんなお菓子1つでジュリーさんを呼んだのか?

「さて、我々も試写会会場に行くか。テン、行ったらキョーコ君と琴南君のメイクも頼むぞ」
「勿論♪2人ともいい素材だから腕が鳴るわああああ」



拍手に混じって歓声が試写会会場から聞こえる

「キョーコ、そろそろ挨拶の時間よ」

「う…ん゛っ!「だめよ!キョーコちゃん、奏江ちゃんを見ちゃっ!」…イタイ」

私は無理矢理引き戻された首を擦ろうとしたが、テンさんの厳しい目に当てられジッと耐えることにした

「お疲れさん」という声にクタクタになった身体を何とか持ち上げると社長が楽しそうに立っていた
会場の誰よりも派手であろう衣装の影に隠れるように小さな女性がいた
「初対面だろ?テンだ」と紹介された彼女は、とっても素敵な魔法使いだった

「テンさん…その…キョーコは未だですか?そろそろ挨拶が…」
「奏江ちゃん、メイクは芸術なのよ。あせらせちゃダメダメ〜」
「……そうですね」

間に合うかしら…

不安に駆られた私の耳にコンコンとノックの音が聴こえた

「テン、キョーコ君たちの準備は出来たか?」
「ダーリン!丁度良かったわ……よーし、終わり!!キョーコちゃん、完成〜」

「ほう」
「あら」

「モー子さん……って、きゃあああああああああスッゴク綺麗だよぉ、モー子さあぁぁん」

振り向いたそこには正にかぐや姫のモー子さん
うわああぁぁ、素敵いいぃぃ

「キョーコ…」
「キョーコ君…」

え…えっ?何その反応は…

モー子さんと社長が呆れたような目をしながら、ふるふると首を振っていた

「ありがとう…でも、あんた、自分の姿も鏡で見た方がいいわよ」

そんな変な出来上がりなの?

私は不安になって立鏡に突進した
鏡を見ると…

「うわああぁぁぁぁ、テンさんって魔法使いぃぃ」
「やだー、照れちゃうなぁ///」

頬に手をあてて照れた仕草をしたテンさんはふっと真面目な顔に戻って言った

「それにしても素材がいいわぁ、流石、『人魚姫』と『かぐや姫』ね」

私に用意されたドレスは泡のようにフワフワしたシャンパンゴールドのドレス
素晴らしく美人で利発なモー子さんは着物っぽい和柄のドレス

「キョーコのドレス綺麗ねぇ…これって透けるの?」
「膝のちょっと上位から下まではね。モー子さんのこれって和服みたいね」
「うん、あわせがちゃんとあるのよ。こういうドレスもいいわよね」
「うんうん、モー子さんにとっても、とぉっても似合っている」
「ありがと。キョーコもスッゴク似合っているわよ」

「おいおい、楽しそうなのは何よりだが……もう時間、だぞ」

そう言われて社長の方を見ると、社長は頭上の時計を指差していた

「いっけない!!」
「キョーコ!行くわよ!!」

私たちはヒールの音を響かせながら会場に走っていった



映画が終わり、スクリーンには何も映らなくなっても俺は暫くボンヤリとしていた

〔大丈夫か?〕

わき腹を突かれる感触で、俺は現実に戻ってきた

〔え…ええ〕
〔記憶が無いわりに、かなり感情移入して熱演していたようだったな〕
〔そうですね、俺も驚いていますよ。通して見たのは初めてなので〕

映画の中の俺とキョーコは本当に愛し合っていた
誰にも邪魔されない固い絆で結ばれ
彼女が死んでもずっと、彼女と過ごした時の記憶を守って

何で俺は撮影中に彼女のことを思い出さなかったのだろう

麻理の目はキョーコがいつも俺に向けてくれていた目と同じ、信頼と愛情に満ちた目だったのに

〔俺ってバカですね……なんであの子に気づかなかったんでしょう〕

父さんは黙ったまま俺を見ていた

〔彼女はいつもあんな風に俺を見ていてくれたのに…映画の撮影中も〕

父さんが俺の肩に手を置いた

〔そんな顔をするな。お前のそんな顔を見たらあの子が傷つく〕

俺は黙って頷くと、深呼吸をして最近の仕事のことを話し始めた
地に堕ちていた俺の評判も、俺は仕事の態度と評価で少しずつ回復しているようだった
社さんもホッと一安心できると、先日言ってくれた


「クー、お久しぶりね」

父さんの席の横に1人の女性が立っていた

「美恵っ!?なんでここに?」
「あら、ご挨拶ね。監督筋でチケットを頂いたのよ」

長谷川美恵
子役の時から活躍する長い芸能経歴と、それに見合う実力を持つ演技派として名高い女優
また両親の親友でもあり、俺も小さいときは可愛がってもらった
(同じ芸能界で、同じ映画に出演しても俺が父さんの息子とは気づかなかったが…)

「いやはや驚いた。嬉しい驚きだがな。相変わらず美人だなぁ、美恵は」
「いやだわ。クーったら年々口が上手くなるんだもの」
「おやおや、本心なのに」
「まあ嬉しい。ジュリは元気?3ヶ月くらい前かしら、電話で話したんだけど」
「ええ、とても元気だよ」

父さんが俺のわき腹を突き、俺は小さく頷くと空いていた横の席に移動した
空いた席を指す父さんに美恵さんは「ありがとう」と言って腰を下ろす

「ジュリから聞いたわ。娘が出来たんですってね?」
「まあね」
「息子さん、最近話も聞かないけど、あの小さかった子が結婚したの?」

"息子"というフレーズに俺はドキッとする

「いえ、息子はまだ独身なんですよ。まったく…嫁さんを貰う甲斐性もなくって」

悪かったですね、甲斐性が無くって

「あら、とても可愛らしい良い子だったって記憶があるわよ。あなたもかなりの親ばかを発揮していたし」
「姿形はジュリに似てますからね。しかしトンと恋愛関係には疎い奴で。まったく俺の息子だと言うのに」

どーぜ恋愛偏差値低いですよ、低いも何もゼロですよ

「あらあら、あなただってジュリと結婚する前は、ね。それなりに苦労していたじゃない」
「み…美恵?な…何を?」
「ジュリをデートに誘うときは私を「わーーーーっ!!…話を変えよう」そうね」

ふっと俺の頭に年中無休でベタベタしあっていた両親が浮かぶ
恋愛で苦労したなんて…父さんにもそんな時期があったのか

内心感心している俺の耳に場内アナウンスが聴こえた

『皆様、お席におつき下さい。大変お待たせしました』

会場のざわめきが消える

『麻理を演じた京子さんと、麻理の親友役を演じた琴南奏江さんです』

ドクンッ

会場に拍手と歓声が溢れる

『お二人とも是非…こち……ら………へ…………」

2人が登場した途端、アナウンスはどもり、拍手と歓声はやみ、会場は水を打ったように静かになった

に……人魚姫…………

キョーコはまるであの香水のCMから人魚が飛び出てきたようだった
舞台中央に立つと2人は揃ってペコリと頭を下げた

その途端、俺を含めた会場中の人間はハッと我に返り、一瞬後会場中に割れんばかりの拍手が溢れた

『そ…それではっ、お二人には撮影中の秘話などを教えていただきましょう』

自分を取り戻したアナウンサーが話を進める
2人は司会の進行に沿って舞台挨拶をし、収録中のエピソードなど、彼女たちの面白い話で会場が沸く

『急遽設置した外の特設会場からも質問の声が多数上がってきております。特設会場の…さーん』
『はい。外の会場では2人に釣られて走ってきた観客で賑わっています。さて、京子さん』
「はい」
『なんで京子ちゃんはそんなに足が速いんですか?という質問が多数寄せられていますが。教えていただけますか』
「えっと、走ったり…ちょっとはトレーニングしたからかな…」
「違うわよ。京子は出逢った頃から足が速かったわ……きっと自転車通勤の結果ね」

"自転車通勤"という人気芸能人にあるまじき単語に会場が沸く

『京子さんは自転車にのって事務所にきていた…って聞いたことがあるんですが』
「本当ですよ。一度だけ成人男性を後ろに乗っけてかなりの距離を走ったこともありますよ」
『ええ!?それは凄いですね〜〜』
「流石にあの後は歩くことも立つこともままなら無かったですけど…」

「えへへ」と頭を掻きながら話すキョーコのエピソードに昔の代マネのときを思い出す

『京子さんが乗せてそんなに必死に走った自転車の後ろに乗っていた男性って……恋人ですか?』
「え…?」

キョーコの顔色がサッと変わったのがわかった
隣にいた琴南さんも直ぐに気づき、司会の女性の注意を自分に向けさせた

「本当に京子って普段はこんなに元気な人なのにあんな儚い病人の役を演じきるなんて詐欺ですよね」

ニッコリと笑う琴南さんの背後には『これ以上この質問はするな』と冷たい看板が見えるようだった

『ヒッ…あ…その…ええっと…話が変わりますが、お二人は今回の役を演じて如何でしたか?』

ビクビク怯える司会の質問に、琴南さんは何事も無かったようにニコニコと答えた

「そうですね……"不甲斐ない親友の為に頑張る"…結構実生活と似ていたので役作りは楽でした」
「うっれしい〜〜"親友"って言ったくれた〜」

「……反応するのはそこなの」

キョトンとするキョーコと頭を抱える琴南さんの即席コントに会場に笑いが飛ぶ

『本当にお二人は仲が良いんですね。京子さん、京子さんの今回の役はどうでしたか?』

話が明後日に飛んで行こうとするのを司会の女性は必死で舵取りをしているようだ

「え?あっ…そうですね。麻理はあまり口数が多い方ではないので、表情に気をつけました」
『表情というと…特にどこに?』
「目に気を使いましたね」


拍手が沸き、キョーコたちが舞台から下がると、ずっと黙って隣に座っていた父さんが呆然と口を開いた

「何てことだ…キョーコが"人魚姫"…だと?美恵、知っていたか?」
「ええ…嘘だとは思っていたけど…あの目を見て解ったわ。確かに彼女は"人魚姫"よ」

何なんだ?

チラッと隣を見ると、父さんと美恵さんは何処か辛そうな目をしていた

"人魚姫"だと何か問題があるのか?



「試写会の成功を祝って 乾杯っ!!

社長の音頭で其処彼処でグラスが鳴る

「今回のチャリティでは500万近い寄付が集まった。2人に拍手」

皆が私とモー子さんの方をみて拍手を送る
皆が笑ってる…嬉しい
成功して良かった


「お疲れ様、京子ちゃん」
「美恵さんっ!!」

以前映画で共演した先輩女優の長谷川美恵さんが大きな花束を持っていた
ピンクを中心に使われた花束で、とても可愛らしい

「来てくださったんですね」
「もちろん。ずっと楽しみにしていた貴方の最新作だもの」
「ありがとうございます」

頭を下げて顔を上げると、クーパパがニコニコ笑っていた

「お疲れ様、キョーコ。よく頑張ったな」
「パパ」
「パパ!?じゃあジュリが言っていた"娘"って京子ちゃんなの?」

え…?
クーパパとジュリママは美恵さんのお知り合い?

戸惑う私の肩をグッと抱き寄せると、パパは胸を張って言ってくれた

「そうとも。京子は私の可愛い可愛い娘だ。正確にはルイスとクラリスの娘だがな」
「まあ、2人の。クラリスの喜ぶ顔が目に浮かぶわ。近い内に遊びに行くと伝えて」
「おお、解った。楽しみにしているよ」

ふっと視線を感じて、私は背後を振り返った

…あれ?

金髪で眼鏡をかけた40歳位の男性と目が合った

うわっ///
渋いおじ様って感じでカッコイイ人だなぁ

昔の社長ってこんなかなぁって感じで、社長よりかなり落ち着いた雰囲気の人

あれ…?

彼の青い瞳を見て頭に何かが浮かんだが、パチンッと消える

違う…
誰かに似ているけど社長じゃない…

誰…?

私は談笑するパパと美恵さんの傍を離れてその男性の方に足を踏み出した
会場では"踊り明かそう"がかかり、中央ではダンスが始まる
それでも私の意識は彼から離れない

彼は誰かに似ている

私の良く知る誰かに



綺麗だ

周囲に群がる人に挨拶をしながら微笑むキョーコを見ながら俺は心底そう思った
キョーコは局の警備員から大物俳優まで全員名前やプロフィールを覚えているようだ

老監督と孫の話をし、メイクさんと新しい化粧品の話をする

そんな彼女に周囲は暖かい目を向ける

ポンポンと肩を叩かれて後ろを見ると、ピンクの花束を持った美恵さんが居た
キョーコの大好きなピンクの花びら

「こんにちは、あなたもこのパーティに招待されていたのね」
〔あの…ミズ?〕
〔あら…?でも日本語わかるわよね、ツルガ君?〕

え…?

クスクス笑い出した美恵さんを呆然と見た

〔演技は終りよ〕
〔な…何で〕
〔そんな目で京子ちゃんを見るからよ。直ぐに分かっちゃった〕

美恵さんはいたずらが成功したような満足しきった顔をしていた

〔ビックリついでにもう1つ〕
〔え…?〕
〔あなた、クーの息子の久遠君でしょ?〕

俺は咄嗟に周りを見渡したが、誰も聞いている者は居ないようだ
俺はため息をついて頷いた

〔誤魔化してもしょうがないですね。貴女には敵いませんよ、美恵さん〕
〔…あら、まだ英語でしゃべるの?〕
〔この姿で日本語ペラペラじゃちょっと目立つので。協力してください〕

美恵さんはシャンパングラスを目の前に掲げてOKの合図をした。

〔その目がね、昔見た久遠少年そのままなのよ。いま裸眼でしょ?そして、金髪になれば、ね〕
〔なるほど。俺の幼少期を知っている美恵さんは誤魔化せなかったか〕
〔あなたがこんな格好をして来ているってことは…京子ちゃんに正体を知られたくないのね〕

!!

何で俺たちのことを知って?

〔京子ちゃんとあなたが付き合っていたのは知っていたのよ。一度映画の打上げのときにね〕
〔そうでしたか。あの子は美恵さんが大好きですからね。嘘をつきたくなかったんでしょう〕
〔光栄だわ〕

そう言って美恵さんはシャンパンを一口飲んだ

〔一昨年のクリスマスの後、京子ちゃんが嬉しそうにプロポーズされたことを教えてくれたわ〕
〔そうでしたか…〕
〔その後突然あなたと深見なんて女の交際発言。不思議だったわ〕

美恵さんはシャンパングラスを見ながら目を細めた

〔それであの子に聞いたのよ、このままで良いの?って〕
〔…そうしたら?〕

聞きたくない気持ちと、聞きたい気持ちが交差する
でも脳が判断する前に、俺の口から先を促す言葉が飛び出ていた

〔そうしたら"人魚姫は泡のように儚い夢を見たんです"って寂しそうに笑ったのよ〕

〔流石にそれ以上追求は出来なかったわ〕

"君の20歳のクリスマスに結婚しよう、キョーコ"

泡沫の夢となって消えた約束
俺は右手の薬指にはめたあの時作った指輪をグルッと回した
女々しいようだが自分用の指輪をお守り代わりに身につけている

美恵さんがキョーコをすっと指す

〔痛々しいでしょ?〕
〔え…?〕

美恵さんの言葉を俺はとっさに理解できなかった

〔あの子の目はね、見ていて痛々しいの〕

美恵さんは辛そうに言った

〔笑顔でも目が笑っていない…あの目よ〕
〔え?〕

〔彼女が"人魚姫"に選ばれた理由〕

それだけ言うと彼女は花束を持って京子の傍に言った
2、3会話をすると父さんが混じる
その様子をジッと見ていると、不意にキョーコがこっちを向いた

パチッと目線が会うと、暫くしてキョーコはこちらに歩いてきた



〔初めまして、お一人ですか?〕
〔ええ。今日は知人に連れてこられたもので。素晴らしい映画でした〕

澄んだ青い目から語られる素直な賛辞に気持ちが明るくなる

〔ありがとうございます。あの…〕

私は会場に掛かる曲に気づいた
この曲なら踊れる

〔もし良かったら踊っていただけませんか?〕

私の言葉に彼はちょっと目を瞠る
女から誘うなんて非常識だったかしら

不安になって見上げた先の青い目がフッと微笑んだ

〔喜んで、お姫様〕

そう言うと彼はスッと手を出した

トクン

心臓が高鳴る

手を取ろうとした瞬間、私は肩をポンッと叩かれた
クルリと後ろを向くと、レストランの制服を着た男性だった

「京子様、お電話が入っております」
「あ、解りました」
「ご案内します。こちらです」

案内してくれる店員さんの後をついて行きながら私は後ろ髪を引かれる想いだった

知らない人なのに
変なの

音楽の鳴っている受話器を持ち上げ、店員さんにお礼を言うと耳に当てた
保留ボタンを押して音楽が止まると、ツーッという機械音が聞こえた

あれ…?

「あの…?」
「おかしいですね。切れてしまったのでしょうか」

そう言って未だ笑顔を浮かべる店員に私の背中がゾクリとした
店員の背後を見ると人影が無く、いつの間にか人気の無い所に連れてこられたことに気づいた

「あの…ありがとうございました。また用事なら掛かってくるかもしれませんし」

そう言って会場に戻ろうとした私の肩を店員、いや男が掴んだ

「…今は未だ戻られては困るんですよ」
「離して下さい」
「離しません。ある人物が人魚姫を待っているからね」
「え?」

その瞬間、男はポケットからハンカチを取り出し、それで私の鼻と口を同時に塞いだ

ヤダッ!

一瞬後、私の意識は黒い沼に沈んだ


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