「入るわよ」

短いノックの後の声とほぼ同時に扉が開き、モー子さんが入ってきた

「大丈夫?少し顔色が悪いみたいだけど」
「緊張しているの、すっごく。でも大丈夫よ」

と笑う私を無視して、モー子さんは私の額に手を当てたり顔色を見たりとする

「モー子さぁん、大丈夫だって」
「あんたの大丈夫ほど当てにならないものはないから(サラリ)」
「酷いなぁ」
「本当のことでしょ?さて、一応大丈夫みたいね。良かったわ」
「ありがとう、モー子さん」

礼をいう私にモー子さんは優しい笑顔で笑いかけた


暫く談笑した後、「それにしても」とモー子さんが周囲をぐるりと見た

「相変わらず、すごいわねぇ」
「うん。でも嬉しい///」

部屋を占領しているピンクのバラの花にモー子さんは呆れた目を向けた

「パパとママたちは?」
「…外に居るわよ」

モー子さんは廊下を指差した

外…?

!!

「モ…モー子さん?まままままま、まさか」
「その"まさか"よ」
「やだー///まだ勝負ついていたなかったの?」

恥ずかしさに嘆く私に、モー子さんがシラッと言った

「しょうがないでしょ?愛娘の『結婚式』なんだから」

そう今日は私と蓮の結婚式

婚約発表をしたときもピンクのバラが事務所に届いたが、結婚式用にも3日前から届き続けている

「幸せね、私って」
「愛されているわね、十分に」

私たちは顔を見合わせて笑った


Eyes #18


〔ふっ、なかなかやるな…これで私が2837勝、ルイスが2838勝だ〕
〔ここで終わりにしないかね…?そもそもキョーコは私の娘だ、私が"花嫁の父"が正しい〕
〔な゛っ!君が勝っているからって卑怯だぞっ!父親の名乗りを上げたのは私が先だ〕
〔解った、解った。じゃあこれで最後にしよう〕

そう言ってルイスおじさんはコインを放った

〔表っ!〕
〔裏…ッチッ、同点になってしまった〕

温和なおじさんが舌打ちするのを見て、俺は目を瞠った

〔母さん…父さんたちは何をしているの?〕

自分の部屋を出て真っ先に目にした光景に俺は暫し固まった
異様に白熱する父さんとおじさんの傍で優雅にお茶を飲む母さんたちに何事かと聞いた

〔あら、クオン。準備できたのね、男前よねえ、クラリス?〕
〔ええ、こんなハンサムな息子が出来るなんて鼻が高いわぁ〕
〔ありがとう…ございます……それよりもアレ何しているの?〕

そう言うと母さんたちは顔を見合わせてにっこりと笑った

〔どっちがキョーコちゃんをクオンに渡すか〕

え…?

〔何それ?〕
〔つまり、どっちが"花嫁の父"役をやるかでもめているのよ〕

コイントスで?

〔ぐぬぬぬ、これで私が2840勝、クーが2841勝か〕

父さんたち間で飛び交う数字からして、既に5000回は勝負しているようだ

それにしても"花嫁の父"か
それなら

2人が同点になったタイミングを見計らって、俺は口を挟んだ

〔キョーコの父親なんだから、ルイスおじさんがやればいいんじゃないの?〕

俺の言葉に2人の耳が大きくなり、凄い勢いで突進してきた

〔やはりクオン君もそう思うよな?何せキョーコの法律上の父親は私なのだから〕
〔何を言うんだ久遠。あの子に初めてお父さんと言ってもらったのは私だぞ〕
〔なに!?"お父さん"って言ったのは私が初めてでは無いのか?〕
〔悔しいか。じゃあやはり私が花嫁の父だな〕
〔何をぉ?やはりコインで勝負つけるしか無いな〕
〔望むところだっ〕

もう好きにしてくれ

俺は再びコイントスを始めた2人の様子に溜息をついた
横に居るクラリスおばさんに聞く

〔キョーコは?〕
〔キョーコなら準備が終わって、いま奏江ちゃんと一緒に部屋の中に居るわよ〕

キョーコというときのクラリスおばさんの眼はとても優しい
血の繋がった母親がキョーコに無関心だった分、キョーコに優しい母親が出来て良かった

キョーコを見ようとドアノブに手をかけたとき肩をポンッと叩かれた

〔ダメよ。結婚前の花嫁に逢うと不幸にするって言い伝えがあるのよ?〕
〔美恵さんっ?〕

美恵さんを見て母さんが嬉しそうな声を上げた

〔美恵、早かったのね〕
〔キョーコちゃんに渡したいものがあって〕

そう言いながら美恵さんは手にもつ大きな箱を見せた

〔ほらほら、花婿さんはあっちでお茶していらっしゃいな〕

そう言って美恵さんは俺を母さんたちのほうに押した

〔少しだけキョーコちゃんと話がしたいの。ごめんなさいね〕
〔解りました〕

美恵さんの真剣な目に頷くと、俺は扉の前からどいて母さんたちとお茶することに決めた
そんな俺に「ありがとう」というと、美恵さんはノックをしてキョーコの部屋に入って行った


〔ねえ、母さん、クラリスおばさん。結婚前に花嫁を見ると不幸になるって本当ですか?〕

俺の質問に母さんたちは顔を見合わせた途端、2人揃って眉間に手をあてた

〔母さん?〕
〔私のときは"愛とは…"という哲学で演説されて、そんなの迷信と説得されたわ〕
〔クラリスおばさん?〕
〔私のときは"迷信とは…"という科学的な話をされて、いかに非科学的かと説得されたわ〕
〔結局あの2人ってすっごく似た者同士なんですね…〕

言い争う父さんたちを俺たち3人は生温かい目で見ながら、家の話になった

〔結局、俺たちはNYに住むかLAに住むか悩んでいるんだけど、どうしようか〕
〔そうね。結局NYはうちを、LAはヒズリ家を大きくしてあるから3世帯は住めるようになっているわよ〕
〔じゃあ両方の家に近い物件を適当に2つほど購入するよ〕
〔クオンも一緒に住めば良いのに…どっちの家も広いから連絡をとらない限り他の家族には会わないわよ〕
〔まあ、俺たちは新婚だから…〔正直、キョーコが食事当番から抜けるのって痛手よねぇ〕…え?当番?〕

食事当番って何だ?

〔キョーコに聞いてない?私たちの家ではね、みんな仕事があるから5人で食事当番を回していたのよ〕
〔も…もしかして母さんも?〕

おばさんの言葉に、俺は軋む首を母さんに向けた

〔当たり前じゃない。なぜか私が作るときはキョーコちゃんしか居なかったんだけどね〕

そ…そうなんだ…

ん?

〔キョーコだけ?〕
〔そうなのよ。他の3人は緊急の会議とか、撮影が長引いているとか〕
〔ふうん〕

チラリとおばさんを見ると、母さんにわからない様に俺に向かって両手を合わせて謝っている

その気持ち、判らない訳ではない

しかし

頭の中にキョーコの笑顔が浮かぶ

キョーコのことだ
あの味の料理を一生懸命完食したんだろうなぁ

〔キョーコ、大勢での食事がすっごく楽しいって言っていたのよね〕

ん?

声のした方をみると、おばさんが頬に手をあて、いかにも"残念ねぇ"と言っている

〔家族で食卓を囲む経験が無かったからかしら。あの子は皆での食事がとても楽しそうだったわ〕
〔た、たまには…い、いえ、頻繁にキョーコと遊びに行かせて貰いますよ〕

その瞬間、俺はおばさんの目が目がキラリと光ったのを見た

〔あらじゃあ、一生懸命料理しなくちゃね、ジュリ〕

そう言っておばさんは母さんに笑いかけた
母さんは目を輝かせて同意するように頷く

〔もっちろん♪腕によりをかけて先祖代々の料理を作るわ〕

俺に母さんの奇怪な料理を食えと?

ふぅっと遠退く意識の中で、俺は昔食べた(見た?)母さんの料理を思い出す
自然界にはありえない色
人が叫んでいるような顔の模様
ブシュー、グギャアという声のようなありえない蒸気音

俺は死ぬ

〔クラリスおばさん。俺たちは近所に住むでしょ?俺たちも食事当番に入れてくださいよ(キュラリ)〕
〔まあああぁぁぁ、本当?〕

俺の言葉におばさんの顔がこれでもかってくらいに輝く

〔ええ、勿論。それの方が(母さんの料理の犠牲者を増やす必要が無くて)お互いいいでしょう?〕
〔あなた達が来れば7人、(ジュリの手料理を食べるのが)一週間に一度で済むわ〕

相当母さんの料理で苦労したのだろう
涙なくては語れない状態のおばさんが俺はとても気の毒だった

〔嬉しいわ、またキョーコちゃんとお料理教室が出来る〕

そして空気を読めない人が1人

〔おばさん、キョーコに教わって何で母さんの料理は………変化は?〕

俺はこそっとおばさんに聞く

〔キョーコと作っているときはいいのよ、キョーコがやんわりと独特の味付けするのを止めるから〕
〔へえ…じゃあ、母さんが料理するときはキョーコと一緒ならいいんですか?〕
〔いえ、そうするとジュリのレパートリーが増えて…その…料理の復習といって…クーが……〕

父さん…貴方の愛は偉大です…

なんか…俺の今後の食人生は決まった気がする

母さんの料理を完食したであろう今までのことを考えると、これからもキョーコは母さんの料理を平らげるだろう
俺も頑張って手伝うが

こう決まったとあればキョーコの花嫁姿を式の前に見ようが何だろうが、半端な不幸なんて怖くない気がする

見に行くって不幸を招くか

行かずにやはり不幸になるか

それが問題……って次元じゃない気がする



扉がノックされ、モー子さんが開けた先には美恵さんが立っていた

「あら〜〜、綺麗になって…ちょっと一回転してみて?」
「は…はい///」

私は照れながらも、その場でクルリと回った

「まあまあ、本当に綺麗な花嫁さんだわ」 というと、真剣な目で美恵さんは私の目をジッとみた
?と思いながらも、私も美恵さんの目を見返す
長い数秒がたったあと、美恵さんは「よし」と満足したように笑った

「あなたに渡したいものがあるの」

美恵さんは私に2つのビロードの箱を渡した

「開けてみて」と言われて1つ目のビロードの蓋を開けると、真珠のイヤリングが入っていた
「これは?」と尋ねる私に、「2つ目も開けて頂戴?」と先を促した
もう1つの蓋を開けると、長い2連のパールネックレスが入っていた

「それは初代の"人魚姫"からあなたによ」

え…?
人魚姫から…私に?

戸惑う私を見ながら、美恵さんがポツリポツリと話してくれた


「初代の人魚姫は私の友達、いえ、親友だったの」
「"だった"の……ということは、その方は…?」
「20代のときに病気で亡くなったわ」

始めてみた美恵さんの悲しそうな瞳に、私とモー子さんは黙り込んでしまった

「あら、私ったら晴れの日にごめんなさいね……でも、少し話を聞いてくれるかしら?」

私たちはコクンと頷いて、近くの席に腰を下ろした


「透子、初代の"人魚姫"は透子というの、彼女は遺言と共にこれを残したの」
「遺言?」
「ええ。"いつか王子様に出会えた人魚姫にこれを渡して欲しい"と」

「透子って"TOKO"のことですか?あの伝説のモデルの?」
「そうよ、奏江ちゃん。透子はあの"真珠のTOKO"よ」
「モー子さん知っているの?」
「ええ。私も聞いただけの人だけど…かなりの有名人よ。確か足に生まれつき生涯が」
「そうよ。透子は先天性の病気で足が上手く動かせなかったの」
「それでもモデルを?」
「ええ。ある真珠メーカーの御曹司が透子を採用したのよ。彼は透子の恋人だった」

「"懸命に歩く姿が陸に上がったばかりの人魚の様だ"と彼に称えられて彼女はモデルになったの」

美恵さんは昔を思い出すように遠い目をした

「透子は本当に名前の通り、綺麗で純粋で透明な水のような女性だった」

「でも…モデルの世界に障害を持って挑むのは酷な話だわ」

華やかな舞台とは正反対のドロドロした裏舞台
それが芸能界

「イジメの的って訳ですね」
「よく判っているわね。って、ごめんなさいね。"姫"と呼ばれるあなたたちなら痛いほど判るわよね」
「はい。何度か痛い目に合わされましたから。人気と比例してイジメは陰湿になるものです」

それなりの苦境を味わったわたしとモー子さん
でも、辛いときはわたしにはパパたち、モー子さんには社さんが居た
透子さんには…?

「彼は…透子さんの恋人は透子さんを助けなかったんですか?」
「私はあの御曹司、いえ今では会長になったあの男が許せないのよ!!」

突然美恵さんの目に浮かんだ激しい怒りに、私は驚いて言葉を失った

「あの男は実家が大きくなって安定した途端、透子を捨てたのよ!!」

美恵さんはギュッとハンカチを握った

「あの男の会社が業界トップになる頃、透子の足は動かなくなったわ」

足が動かない
それはモデルにとって致命的だったはず

「薬とか…そう、手術はしたんですか?先天性とは言え何か治す方法が」
「あの子はモデルとしての自分を優先にして、薬の投薬、手術の打診、全てを断ったの」

「結果、死期が早まり、あの子は20代で寝たきりになってしまった」

「そして、男は透子を捨てたわ。いえ、捨てたならまだ良い、忘れたのよ!」
「彼も記憶を?」
「いいえ、ごめんなさい。でも敦賀君のように失ったんじゃないの。ただ邪魔になったからわざと忘れたのよ」

美恵さんは一瞬すまなそうに目を伏せると、再び怒りに満ちた瞳を上げた

「あの男は今まで自分の頑張った透子を忘れてしまった。そして彼女に別れも言わず、何処かの令嬢と結婚したわ」

「透子は毎日毎日その男が病院に来るのを待っていた」

「待ち続けても無駄と言ったんだけどね…あの子はあの男を待ち続けて死んでしまった」

美恵さんは寂しそうにビロードの箱に目を向けた

「これは透子が初めてCMに出たときに付けていた物よ」

私は驚いて手元の箱を見た

「これはあの子が生きた証。それをあんな男に持っていて貰いたくなかったから私が持っているの」
「そんな大切な物をっ!」
「いいえ、それが透子の願い。それにね、あなたの眼は透子にそっくりだったわ」

え…?

「寂しい、寂しい目。そう、愛する人を待ち続ける目、諦めた目。若い子がする目じゃないわ」

決して来ない王子様
「忘れた」と口では言いながら、ずっと彼を待っていた私

「でも今のあなたは違う。だからあなたにこれを着けて欲しいの」

「ありがとうございます」と、その言葉が私の喉から出る前に部屋の扉がノックされた
美恵さんがチラッと扉をみて微笑む

「きっと、彼ね。あなたの王子様は我慢が効かないのね、もう、待ちきれなくなったのかしら」
「開けても大丈夫ですか?」

私は依然暗い瞳をした美恵さんに言った

「大丈夫に決まっているじゃない。私は女優よ…あなたたちもでしょ?」

そう言うと、美恵さんは扉の方に行ってドアを開けた

「もう我慢できなくなったの?」
「まあ………キョーコ、中に入っても良い?」

スラリとした長身を白いタキシードに包んだ男性がひょっこりドアから現れた

私の大好きな大好きな人

2年越しだったけど、大事な大事な約束を果たしてくれた人

私の夢を叶えてくれた人

私は王子様を待つ哀しい人魚姫じゃない

「蓮!!」

そう言って私は王子様の胸に飛び込んだ


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